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39/412

39 闇と、

国と同じ名を冠する首都アクエレイルは、すべての「発祥地」と考えられていた。

城塞、司教座の所在地、大聖堂などの教会の中心地としての機能と、商人、小売人、手工業者が形成する市場機能が定住し、都市は栄え、人々の心の拠り所となっていた。

住民に求められるものは自制、秩序、規則正しさなどといった精神的な修養であり、各教区の教会がそれらを導いている。都市はひとくくりの家族と云えるものだった。


困窮者には無償で手を差し伸べ、地代の軽減や商人たちへ流通税の免除も実施されている。法で守られしアクエレイルはまさに万人の理想の都市だった。

けれど同時に、道を踏み外した者に対しては徹底的に非難し、煉獄に導く場所でもあった。



―――教会への尊重、司祭への歓待、存在の尊寿、気遣いに対する感謝、


鉱夫らの脳裏にはそれら、世界の存在意義である教会人に対して、たえず順奉する感情がくり返し生まれた。

しかしそう思いながらも、口からは全く違う言葉がでそうになっていた。


雨が降り出していた。照明のあたるところ以外暗く、ぐずぐずの地面には無数の足跡と、馬車の轍が刻まれている。救出活動を終えた鉱夫たちはみな鉱山町へ向かう荷馬車に乗り込み、ひとつの方向を見つめていた。視線の先、真っ白い祭服の上に純白の外套をまとう司祭が、地面を見下ろしながら立っている。


ひとりの女が跪いていた。

その光景を見たとき、男たちは荷台の端に足をかけ、今にも駆け寄ろうとした。窮地を救ってくれた恩人に対する感謝が、彼女に対する無礼を許さなかった。

雨は絶え間なく女を濡らし、下げた頭の先から黒い水が流れるさまは照明にてらされ、はっきりと見えた。彼女が虐げられているように見えることが我慢ならない。けれど相対する司祭は穏やかに笑っている。はたして実情はどうなのだろうか、男たちにはわからなかった。司祭の前に跪く姿が、高潔な儀式の最中のようで、敬虔な彼らの足を止める理由となっていた。


丈の合っていない男物の作業着は泥水を吸って黒く。それが単に雨に濡れたのではないことは、全員の知るところだろう。彼女は頭を下げたきり、動かない。



陥没孔で響いた爆音と殊更大きい地鳴りのあと、女はレヴとレイクを伴って地上に戻ってきた。転移―――理力に明るくはないが、何もないところに突然現れた。転移術というものなのだろう。

二人の意識はあり、目立つ怪我もほとんどない。鉱夫たちは沸きたち、上へ下への大騒ぎだった。笑いと涙の混じる獣のような雄叫びが、夜更けの鉱山によく響いた。


レヴとレイクは真っ先に鉱山町の病院に移されることになったが、荷馬車の荷台に乗せられながら「お礼をしたい」と女に暫く滞在するように懇願した。女は曖昧に笑っていたがその背中にボイルも話しかける。「あんたも病院へ」片手をあげて灰桜の男どもを呼ぶ。けれども女は首を振り「お借りした上衣、駄目にしてしまってごめんなさい」と返した。


確かに上衣は擦り切れ、袖は破れている。最早着れたものではないだろうが、乾いた泥と血が張りついた手を胸に宛てがいながら謝られるのは居心地が悪い。入坑前に薄着のまま鉱夫に続く女に、とっさに自分の上着を貸したボイルだったが、そんなものどうでもいいと仲間を救出してくれた感謝を改めて伝えた。


理術師の女は、抱き合って喜びを分かち合う男たちを眺め、幸いそうに笑っている。

疲労がないのだろうか、服の下に、見えないところに怪我をしていないか、今の気分はどうかとボイルはしつこく訊ねたが、その気分はボイエスにも理解できた。


振り返ってみると底の見えない闇がある。陥没孔は雲間から射した月明かりさえ飲み込み、今もなお大口を開けている。あの姿をみるだけでぞっとするというのに、あの孔の奥底に行って瓦礫と水の中から戻ってきたというのだから、彼女は永く語られる英雄であると判然といえることだった。


ボイエスは腰に手をあて、大きく息を吐いた。坑道の大半は水没し、復旧の目途など立つわけがない。それでもこの不利益に始末をつけるのは現場責任者のボイエスだった。奇跡的に死傷者がでなかった今、改まって坑道の復旧と、従業員の今後についての算段に頭をまわさなくてはならない。みなのように、助かって良かった、命が在って良かったと、喜んで、あるいは家族と抱きしめ合うことはしない。後日酒を片手にやれればそれでいい。誰かを失うかもしれない恐怖は過ぎ去り、次に目先にあるのは従業員全員の未来だった。ボイエスの身体を突き動かしていたのは、従業員とその家族を背負っているという自負だった。


「ボイエス、誰かがあがってくるぞ」


エドの声に振り返る。鉱山町から坑口までの一本道に光の列ができていた。道の半ばでレイクとレヴを乗せた無蓋馬車とすれ違う。光の中に牛が見えた。牛車の列があがってくる。


牛車を牽引する牛の角に付けられた照明が淡く光る。荷台には物資が乗せられていて、入坑口前の開けた広場に到着した一団から修道服を着た男たちが降りてきて木箱を下ろし始めた。

ほとんどが荷物や人の運搬を目的とした簡素な牛車だったが、後方にひとつだけ四人掛けの造りの良い馬車が混じっていた。正面の高い位置に御者が座り、手綱と鞭を持っている。後ろには従僕が二人立ち、中には相当の教会人がいることは遠目にも判別できた。






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