387 序論:確率の海(12)
「ごく普通の子供です。あの道を辿ると村があります。僕の家もそこにあります」
「ただの子供がここにいられる筈がない。彼女を誑かさない限りは」
だが少年は全く別の事を答えた。
「なぜ僕は死なねばならないんでしょう」
「私がいつ君を脅かした」
不快感をあらわにすると、少年は憂いた。
「それが本心であればよかった。この世のことわりをつくったのは貴方です。それを打ち壊すことができる場所にいたのも貴方だ。話を聞いてわかりました。貴方は誰の事も平等に憎んでいる。だからぞんざいに扱うことができるんです」
「随分な物言いだな……」
「貴方の言葉を借りれば、僕たちは死に相応しい者だと見なされたのでしょう。殺してもいいものだと……貴方は人に看板をつけてまわって、事情を告げずに救ったり、ばかにしたり……遊んでいる」
「まるでその目で見たような口ぶりだ。誰の受け売りかな?」
「見たのです。僕はまだ生きています。貴方の術で傷つけられた人も、体を奪い取られた大主教も、その人たちの命と人生があった。でも貴方は……自分のためだけにまわりを利用している」
少年は口元を持ち上げて、筋肉を動かすだけの酷薄な笑顔をつくった。まだ言い足りずに逸らされた横顔が苦し気に歪む。
ディアリスは思考を急速に回転させて頭の中で少年の言葉を選り分けた。彼が口にしたのは的を射た真実ばかりで、笑顔の裏に驚きを隠していた。
(大主教と言ったな。"これ"がヴァンダールの器に過ぎないことも、奪い取ったことも知っている………であれば何が入っているかも検討がついているな)
どういった経緯で真実に辿り着いたかは知る由もないが、なによりもディアリスの根底に流れる他者への侮蔑が見透かされたことには驚いている。
(拍手を贈りたい気分だな。やはり子供に見えるがそうではない。もっと歳を重ねた"何か"だ……晩餐会に参加していた誰か……)
何人かの顔が過ぎ去る。破裂音と悲鳴、血飛沫、大主教らの焦りと苛立ちが最高潮に達して弾けた夜のこと。それはたった数時間前のことだが、もう既に遠くに過ぎ去ったような感覚がしていた。
先導者を失った人々は不安におびえ、誰かに強く引っ張って欲しいと懇願していた。記憶に浮かび上がるのは、腐臭に集った蠅のごとく、同じ場所を行ったり来たりするだけの愚物たちだ。どの顔も"毅然とした決意のために犠牲となる定めの者"だが、自分が贄であることは知らない。その他大勢という分類の中には特筆すべき顔も脅威となるべき顔もなかった。
「ふむ、覚えがないな。君に私を責める資格があるかどうか、証拠を見せてくれないか」
「僕自身が証拠です」
「いいさ。君はごみの山をよじ登って少しずつ上の方へ近づいていくだけで、安易な達成感を得られ、境遇の責任を他者になすり付けて同情を集めることができて、道義を訴えて善悪の彼岸を作り出すことができる。だが君に人の足に鎖をかけるだけの価値があるか?」
「自分を正当化するために僕を傷つけようとしないでください」
「そんな目で見ないでくれ。記憶にはないが、もしも私の観念によって君や君の種族が根絶やしにされたとしたら謝ろう。"死に相応しい者"よ、私は君達を使い捨てにしながら心を痛めることもなかった。君達がなんであるかも知らないが、いつ手を下したのか教えてくれたら祈念の日に制定しよう。それとも私は想像力と論理だけで君達を殺してしまっただろうか?」
「……大丈夫。傷つきません……だから耳を塞ごうとしないでいいですよ」
「は?」
明らかに声色の違う言葉を吐いて、少年は首を動かし後ろを振り返るそぶりをみせた。背後には葦が生い茂る草地がある。人が一人通れるだけ刈り取られて砂礫の道ができている。誰の気配もなく、獣の姿もない。道の先は少年が住む村があるのだろう。木々が等間隔に並んで風を受けている。葉に光沢があり、潮風に揺れる度に赤々と染まった枝が顔を覗かせていた。
ディアリスは彼女の姿があるはずがないとわかっているのに、葉群れの奥に目を凝らした。端から端へ往復しても見るに値するものなどなかった。
「……彼女がいるわけがない」
「貴方には見えていないだけです」
といわれ、ディアリスはとうとう目を見開いた。
「何を企んでいる」
「何も。あれほど残酷なことを、どうしたら考えつくのか、何を考えているのか知りたかった。それだけです」
「知ってどうする。私を善悪の枠組みに嵌めて悦に浸るか」
「……貴方は悪人であり、善人でもあるのでしょう」




