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リリィ 思いつくままに書きとめたささやかな覚書と一切の崩壊。無力な愛、ひとつの不幸、ただ愛を愛とだけ欲したある価値の概念  作者: 夜行(やこう)


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374 肉料理:■■■■・■■■■■■(2)

このまま時が過ぎれば、二人はどうなっていただろう。


無茶な"兄"は村を出て、最新を自慢する店が並ぶ都市で自分に託された道を進み始める。彼は領主の息子であることを嫌っていたけれど、自分の生まれの高貴さと用意された環境に高まりを感じて、それらをいたずらに遠ざけるよりも利用してしまえばいいと気づくだろう。それがたとえ描いていた未来とはすこしも一致していなかったとしても、広範な分野を学んでいく楽しさはレーヴェにも理解できる。


レーヴェが父母から贈られた優しさによって開花したように、彼だってたくさんの人から贈り物を受け取るはずだ。音楽も文学も、つまらない思想や宗教の話もぜんぶ嫌いだと言っていた彼も何がしかの際立った才能が花開き、本当に大事にできるものを掴む。愚痴ばかりだった顔も喜びに満ち満ちて、レーヴェも寂しいけれど嬉しいのだ。「こっちはまったく素晴らしい!」そんな走り書きの手紙が届いて、僕らは本当にお別れになる。休みには戻るよ、なんて書いてあるけれどきっともう戻らないのだ。レーヴェはわかっている。もう"弟"になることはないことを。


ひいきの仕立屋で新しい衣裳に身を包み、知らない自分に出逢う彼の姿がみえる。髪を撫でつけ、産毛を剃り、香水をつける。服だって着せてもらう。動きに合わせて店員と召使いが動くだけだ。彼はすみずみまで鏡をみて、最後に袖口の留め具を見つけてしまう。レーヴェの手作りのそれは世界に一つだけの、彼の誕生日にあげた装飾品だった。きらきらとしている、けれど幼少の鬱屈と何もない村と何もなかった人生の象徴でもあった。みすぼらしく見えて、彼は鏡越しに店員に告げる。平淡に笑って「捨てて下さい」

それでいいとレーヴェは思う。浜辺に迎えにきてくれる声を、時折思い出すだけでよかった。


大きくなれば母の代わりに紡績工場に勤めるか、父の仕事を変わってやりたいと思っている。父は仕事に負けて体を病んで、母だって織機のうるささに耳を患ってしまいそうだから。早くたくさん稼げるようになって、二人には家に居て欲しい。三人で食卓を囲み、船を見物したり、市場にでかけて好きな物を好きなだけ買えるような、そんな未来がくることを願っていた。


幼いレーヴェは不安に取り囲まれながら、血だらけのさらし台に座っている。仕事をしていない時はいつもそんな気分だった。一人で考え事をして、あれこれ想像を膨らませるのは孤独ゆえに編み出された性質だったが、不安ばかりが定期的に叫び出してしまう理由はレーヴェにもわからなかった。自分をそれほど不幸とも思わず、幸福とも思っていない。何かを強く欲したこともなければ突飛な振舞いも馬鹿騒ぎもしないし、誰に対しても一歩引いて眺めている。静かな村と同じくらい、レーヴェもまた静かに生きていた。きっと魂が形になる前は、浜辺に立つ一本の木だった。そんな気がしている。


いつものように親友が出迎えに来てくれた日、浜辺の流木に腰袋を忘れたレーヴェはひとり薄暗い海に引き返した。

押し寄せる波の音に隠れて、砂をにじり寄る足音が不意にレーヴェを振り返らせた。生臭さが鼻をつく。気配は潮騒にとけ込んで定まらない。誰もいないのに、何故だか自分の居場所が異常な変わり方をしたような気がして不安になった。


海の向こうに横たわる暗闇に目を細めると、何かが浮かんでいるような気がした。夜だ。夜がそこまできている。大海の向こうの国からやってきた船が沖に停泊しているが、レーヴェの目にはかすんで見えなかった。海の向こうには、龍の神様がいる国がある。レーヴェはそれしか知らなかった。


(りゅうのかみさま……)


風が咆哮のように渦巻いてレーヴェの髪を乱した。砂を何気なく見つめる目をあげ、もしも、もしもなんの心配もない、愉快な明日がくるかも知れないと考えてみる。めずらしく明るい思考は、しだいに風になだめなおされていくが、「弟がほしいな……」と呟いた言葉だけやさしく弾けた。


親友の元に戻ろうと振り返ったレーヴェは、大男が並んで立っていることに気づいた。波音に紛れながら男達はすぐそばまでやってきていた。逃げようとしたレーヴェは捕らわれ、頭から麻袋を被せられた。目の前は暗くなり、肩も首も動かせない。長細い袋の中で声をあげると、足がもつれて砂に倒れ込んだ。馬乗りにされてレーヴェの細い体は砂に食いこんでいく。もう一方で別の手が足首を掴んで縛り上げて、袋は完全に閉じられてしまった。悲鳴をあげ続けるレーヴェの顔に向かって、握り拳が振り下ろされる。猛然と、容赦なく打ち下ろされたのだ。


「レーヴェ! どこだ! レーヴェ!」


しばらくして少年が駆けてくる。聡明で物静かなレーヴェ・■■■■■■の姿はどこにもない。






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