371 肉料理:----・------(163)
ヴァヴェルはそうした個々別々の命が抑圧されたまま無駄に使われることも、消費される者を視界に入れるのも嫌だった。人は思考し、責任をもって行動してはじめて人となると捉えている。
果たして青年に努力に傾注する気があるかは定かではない。また今後好意的に手駒として取り扱う見込みもなかったが、人として先んじて学ぶものがあると思うからこそ言葉を贈った。そこに熱烈な自立支援以外の感情はなかった。
青年は唾をのみ込み、浅い息を吸った。弱体化に寄与したということは、見解を分析して胸奥が息苦しく感じるほどの刺激になったのだろう。彼の動きに注意を払っていると、足元を彷徨っていた視線が理性的な働きをして戻ってくる。弱弱しく、軍旗を翻しながらの撤退というところか。まだいい。一度のことで視野が広がったとのたまうなら精神を疑う必要があるが、観察者になろうという気概が感じられる。それは可能性といえるものだ。
「君は半端な反論をしない聡明さを持っている。理解しようと噛み砕き、組み立て、だが形にならず、あやふやに浮かんだ残滓を表に出そうとせずに踏みとどまった。質的に新しい段階へ発展させなければと考えている。それは君の素質だ」
「……理解できている自信がありません。考えることをやめる事が一番楽です。ですが貴方はそうするなと、いえ、私が既にそうしていると仰っている」
自分の弱みを正直に語る姿は憐れだった。闘争には向いていない魂と実証する青年を無感動に見つめる。戦争を知らない世代とでもいうべきか、確かにそうした分断も目に見えている。あらゆる手段を用いて他国に敗北を喫せしめようとした経験は、ヴァヴェルの青年のあいだにうずたかく積まれた壁だ。そのうち壁に話しかけることも飽きて、簡単な議事録を投げ込むだけになる。
「理解はできている。これからも熟考を怠らないでほしい」
「……閣下の言葉も国の概観もわかります。アクエレイルは神をよすがとすることを許す社会です。その中で、自分を孤立させる勇気をもつ必要がないことも。ですが貴方はお持ちです」
「どうありたいかによって必要性は変化するだろう。名もなき共有認識の一部となることは穏やかで気楽な道だ。そうしたいというのなら、その場で立ち止まったまま変化のない生涯を過ごすだけでいい。それもまた掛け替えのない日々といえるだろう。しかし自分の価値を他人に委ねたいというのなら私の補佐からは外れてもらう。別の部署で忠を尽くせ。大主教という地位が目当てならば、他領の執行官に推薦してもいい」
「……これまで貴方は私の事を気にかけたことはありませんでした。私もそうされたいと思ったはもありません。何故今日になって……」
「なんだ」
「…………覆そうとされている。そう感じます」
「ほう、どうしてだろうな?」
「……」
彼は回答を待つだけの沈黙を選んだ。熟考しなかったのだ。餌を求める魚のような目線が雄弁に語っている。
「お前が自分の命を私に背負うように要求してきたからだ。私は私の願望に他人を差し挟む気はない。"私を使うべきだった"、とそう言ったな。本当に忠誠を尽くそうという者はそんな戯言は吐かない。お前は一致を強調したいだけの子供だ。ついでだ、問おう。人質気質のあるお前に。私が成すべき役割にお前を関わらせなければならない理由を答えてみろ」
「……私は信頼に足りませんか」
「誰を頼りにすればいいかは知っている。お前ではない」
「………………………」
「そこで言葉の力を使えぬようではな」
「聡明と仰った!」
「ハッ!」
ヴァヴェルは初めて軽蔑の笑みを浮かべた。青年のくびきがくっきりと見えている。脱しようともしない、奥深くに打ち込まれた概念が。無償で回答がもらえると思っている顔面を叩き潰したくなった。
「自分の声明すら出せない者に用はない。下がれ」
「……」
人は岐路に立った時、自分のこれまでの信仰を守るか、理性に由来した行動をとるか、信仰と決別して生きるか決心をする。青年が信仰してきたものは、神でも龍下でもなくディアリス・ヴァンダールだった。
青年は動こうとしない。
精神を攻撃しても、染みついた信仰を捨て去ることは難しい。反動を打ち破り、あらゆる侵害から精神を取り戻したとして、彼自身の空白に当てはめる目標が必要となるだろう。
新しい自分になるということを無傷のまま達成できるものはいない。それはヴァヴェルとて当て嵌まる摂理だ。誰もみな、死にもの狂いで生きて、勇敢な心の戦いを語らない。この世にはいまだかつて語られたことのない多くの闘争が漂っている。息を吸いこめば、革命的な高揚で肺が満たされるというのに、人はそのことを理解するには短命すぎる。
「……」
「何一つ口にできぬなら、執行官と補佐官の任をここで解く」
「……私は、最後まで貴方と共にあります。私が決めたことです」
「何故?」
「……情感や主張以前に、任ぜられた職務を全うしなければなりません」
まだ満足な回答とはいえなかった。ディアリスの命じるままに命を投げ出されては自立とはいえない。だが、いくつかの不快な経験を味わって、言い分に必ずしも同意されなくとも、確固不抜な性格は失われない。彼の場合は誠実さがそれにあたる。
「その言葉は尊重しよう」
さながら壇上にいる裁判官だった。やすやすと論説を諳んじたヴァヴェルは、青年に椅子をすすめて言った。「これからの話をしよう」
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