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リリィ 思いつくままに書きとめたささやかな覚書と一切の崩壊。無力な愛、ひとつの不幸、ただ愛を愛とだけ欲したある価値の概念  作者: 夜行(やこう)


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365 肉料理:----・------(157)

顔を顰めて嫌悪にまみれているが、言い返す言葉が浮かんでいないようだった。アーデルハイトは必死に考えるふりをしていたが、川面から伸びる白い手を思い出すことしかできないのだ。衝撃的な瞬間であったことは確かなのだから。


『お前はもっと多くを知り、自分が何に怒り、どこに矛先を向けるべきか考えなければいけない』

「……お前は、彼女を救いたいわけではない。死を通じて、強大な理力が支配できると見せつけた。あの子を共有の財産としたいのだ。それは痛みを強いる。そこに庇護と平和を見出せるとは思えない」


帯をぐしゃぐしゃに握りしめたあと、嘲笑と一緒に放り投げた。


『あぁ目が醒めたんだな。いいなぁアーデル、人はいつ省みてもいいと己が身で証明しようというのだな。過去の自分に激怒せず、まず私を罵るとは気分がいいよ。そんな事だろうと思っていた。少女の命を守れば、世界中このうえなしの快感にひたることができると考えているならば、そのいきいきとした感覚でもって世の悪逆を断つがいい。だが、また一人で突き進んでいるのではないか? 川縁に立っていた龍下はお前に黙っていろと告げたか? ただほんのちょっと死に触れただけで怖気づいたお前がみた幻ではなかったか? それにお前の友人は娘の存在を隠してきたのだぞ。白絞の儀式に送りこんだのがロライン自身でないと何故言える? あれがどんな事を考えているか知れない。娘を助けてくれと願わなかったのは何故だろうな? 相手が龍下だから……その程度でたたかいの道を取らないことがありえるか? だがあれは現に娘を奪い返そうとせず、ロライン領の閉鎖性の中でのみ生きている。もしもあの男が発達した所有意識をもっていたならば、お前だって彼に告げていたな? お前の娘を見かけたと。溺れ死んだところを見てしまったが、私は見捨てたわけではないんだ、すまない、すまない――違う? どう違う。お前は彼を信じていなかった。娘を手放した父親に責任があると思うことにした。あぁ、恥ずかしいか? そうだな……お前は恥ずかしい男だ……』

「もう充分だ……喋るな…」

『これで最後にしよう。君が間違いを正したいと思っているなら、協力することができる』

「協力?」

『提案がある。痛みは伴わない、君好みの人道的なものがね。贖罪がしたいなら、聞くといい。君の助けになる』

「信じ……られるわけがない」

『怖ろしく利己的だな。だが、私好みでもある。耳を傾けることを勧める。すくなくとも見識を増やせば、心の平穏は近づく。私にとっても君は数少ない友人の一人だからな、居なくならないでくれ』


事もなげに言い切る。ヴァンダールの中にあった言葉ではなかったが、灼けた顔から吐きだされた友情は、窮状にいくらか響いたようだった。互いに途絶えた言葉の向こうにあるものは宿命だと気づいている。このまま盲目に戻るか、清らな水のように迸って「人」となるか、あれこれ言わずとも彼は決めたがっていた。



まだ夜は明けていない。

窓を覆う掛け布は動かず、室内に風もない。二人の大主教の話が片付いたあと、部屋を訪ねてきた一団があった。各領地の連絡役を引き連れてやってきたのは、ホルミス領の馴染みの従者だった。

相貌にかっちりと緊張が嵌めこまれ、強張りを感じた。再び何事か起こったことは空気で知れる。耳打ちされるアーデルハイトの表情ががらりと変わる。彼は戸惑ったあとに、追うように私を見た。一団からの凝視を感じ、まだ断たれたままの腕を振って挨拶をする。断面を覆う布は、いかにも痛々しくみえて彼らは視線を散らせた。もう体は健やかに動くという事は、まだ隠しておく方が都合が良かった。


従者からの報告を受け、静寂に満ちていた部屋は煩雑さを充填されて、家具のひとつひとつが不気味な合唱を始める。誰も椅子に座らず、アーデルハイトの動向を注視している。その中に、ただ一人だけ子供のように幼く見える青年が、ディアリスをみていた。その冴え冴えとした相貌は、真摯な折り目正しさを乗せている。犯罪者を軽蔑するような意図はなく、まとう帯の色からしてヴァンダール領の者であり、ディアリスが囲っていたらしい気配も感ぜられた。青年の顔には命ぜられるままに動くという者特有の利発さが見て取れたのだ。


アーデルハイトは一団を引き連れて出ていったが、室内に人を残して行かなかった。廊下には背中を見せたまま立つ護衛官たちの姿があるが、それまであった刺々しい空気が少し静まり、はじめて一人になった。

先程までアーデルハイトが腰かけていた肘掛け椅子に、厚い刺繍のほどこされた皮革袋を置いて、背の低い青年が腰かけても具合がいいように整える。咳をして喉を大きく鳴らせば、拘束具の内側に熱い息がこもった。


大股を開き、枕元まで迷いなく進んできた青年はすぐに拘束具を取り去ると小卓の上に置いた。






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