363 肉料理:----・------(155)
「婚外子がいても何ら不思議なことではない。あれは後妻の話題さえ嫌悪していたが、心を預ける相手ができたのならばと…………数年後、成長した彼女を見かけるまで、思い出すこともなかった……」
『ロライン邸で?』と問うと、アーデルハイトは浅く首を振った。虚空に思いをひたすら込めるかのように一点を見つめる男は、おもむろに左の胸をつかんだ。縫いつけられているホルミスの徽章は冷たい緑に白い亀裂を走らせる。自分の形を痛めつけるような仕草はいろいろと思い当たる節があった。彼は今、いつぞやの悪夢を眺めやろうとしているのだろう。
「……彼女は巡礼者の一団の中にいた。従者たちの衣裳、そして中心を歩く濫觴の民を模した女の姿から白絞の儀式であると気づいた。あの儀式はかつての聖女信仰を再現する側面もあれば、神殺しの罪を償うための贖罪の旅路でもある。各地の教会を巡り、人民の前で罪を告白し、豊饒の祈りを捧げる……その列の中に白い花を戴く彼女をみた」
『修道女になっていたというのなら……』
「いや、彼女は陽に光る白い衣と青い帯を垂らしながら歩いていた……聖女は聖典の中で生きる神話に過ぎない。だが、聖女役を担っている彼女を見た時、言い知れぬ感動にうたれた。面紗が揺れ、誰にも顔をさらさずに一歩一歩ゆっくりと教会に入っていくさまはとても荘厳に感じられた。民衆は少し離れた場所から大きな物思いをしながら見送っている。無類の美しさは私の馬車にまで花の香りとやさしい感情を蘇らせた。私の従者は「お立ち寄りになりますか」と訊ねてきた。表情は期待を閉ざしきれず、今にも辞去したがっていた。だが、私は返答を躊躇った。ロラインは娘があることを公表してはいなかったし、周囲を囲むのはアクエレイルの色をまとった者だけだった。一団はまるで花嫁行列であったが、しかし今ここで押して彼女に逢おうという気にはなれなかった。面紗が風に靡いた一瞬……その娘の顔にはっきりとした死が映っていたのだ。何故だかそう感じてしまったのだ。私は儀式の仔細を知らない。龍下の……いや、アクエレイルが主導している祭礼の一つ。教会と乖離する人々に教会意識を開いてもらう為の演舞であり精神の発育というより、むしろ神話に根付いているものだと認識していた。信仰という名の下に総括した絵図をわかりやすい形で…………教会の扉はひたと閉ざされ、すでに一団の姿は見えない……」
『……だが君は、見たのだな』
空気を失い、喉が引き絞られる。硬直したアーデルハイトの額から汗がにじんだ。
何も言えず、だが罪を告白せずにはいられない。人を飲み込む罪過の扉が、これほどまでに大口を開けているところを見たのは久方ぶりだった。
『わかるさ。私は言ったはずだ。彼女が無残に殺され、聖堂が血に染まるのを見たと。行為に及ぶ龍下は壁の裏に目があるとは思っていなかったのだろう。私の目の前で彼女を引き裂き、笑っていたよ………』
「…………」
『アーデル、言いたくないのなら無理はするな』
「いや、いや言わせてくれ………これは懺悔なのだ。お前に聞いてもらわねばならん」
『……わかった』
「教会の裏手は川だった。彼らは再び外に出ると格子の檻を投げ込んだ。しばらくすると川面に理力が立ち昇って、どうやら獣か何かを投じたのだと遠目に思った。川べりに腰かける男たちの背中ばかりで誰の顔も見えなかったが、理力はとても大きく膨らみ、檻の真上に輝いていた。人群れの中に彼女の姿を探したが、陽の名残りのような白はどこにもない。一層喜びの声があがって、川面をみると水没した格子の隙間から白い手が伸びて、必死に水を掻いていた」
男の懺悔には名状しがたい絶望が控えていた。口にしたことで砂を噛むという表情が抜け落ち、罪を贖う顔になった。抱え続けた荷をようやく下ろし、無駄に力んでいた首が正しく伸びる。
『……あえて言おう。何故止めなかった。お前程の男が行動していれば、今日の悲劇は……いや、今日まで彼女が受け続けていた屈辱は止める事ができただろう』
「止めようと思わなかったとおもうのか。馬車から下りて、少女の苦しみに軽口を叩いて笑っている民衆を痛めつけてやりたかった。だが参列者の中に……中にあの方がいたのだ」
――――龍下がいたのだ、彼は泣きそうな声で絞り出した。
「葦の茂みを背に、ふと長い睫毛の影を落とし、穏やかに笑っていたその顔が、遠い私に気づいた。律儀な視線を受けたとき、結着はついていた。彼は私に黙っているように囁いた。唇に指を立てて、ただそうするだけで通話石に唇を押し当てたような会話が聴こえた気がした。あまりに残酷な願いが聞こえた」
アーデルハイトがどうして自分を崇拝していたのか、その理由がわかったような気がした。




