36 手詰まりと、
「レヴさんと、レイクさんですね」
すぐそばで生身の声がして、レヴの心臓は止まりかけた。
「お逢いできて良かった」
こんなところに人がいるはずがない。けれど現にいる。レヴはへたり込んだ。
頭上には小さな太陽が浮かんでいて、昼間のように明るく、向かい合う三人を照らしていた。女は鉱夫に支給されている防寒用の上着を着ていたが、水にぐっしょりと濡れて汚泥にまみれ、今もぬかるみの中に座っている。前腕の内側で額にはりついた髪を払い、白い歯を見せて笑った。
ただそれだけのことでレヴの体から力が抜けた。
どうすればいいのか分からなかった。闇の中で前も後ろも分からず走らねばと男を支えていた唯一の気持ちが、するりと抱き留められた気がした。
後ろでどさっと岩が動いたと思うと、レイクの尻を岩に押し付けてしまったことに気づく。レイクは「いでぇえ」とガキのようにみっともなく泣くので、レヴはもう大笑いしながら謝った。その頬にも同じものが流れる。
女はレイクの腕に触れた。レヴはその間に手で顔をこすりながら、濡れた泥だらけの世界をもう一度ながめた。三人は瓦礫の山をくりぬいた中にいるようだった。岩は頭上で何かにぶつかると左右に滑り落ちていく。そして他の瓦礫と同じように壁となった。先程の白狼といい、突然現れたことといい、死神が形をもって迎えに来たのかとも思えたが、不思議と恐れはない。
「大丈夫。治癒術を施しました。失血している分意識がはっきりしないだけで、地上で養生すればすぐ元気になりますよ」
いつの間にかレヴの太腿に手が乗っている。擦り傷だらけの手から熱が伝わってくる。危ない。勝手に瞼が閉じた。温かなお湯に浸かっている心地になって、目の前の悲惨な光景さえなければ今に眠ってしまいそうだ。レイクも同じようで、眉間から皺が消えて、うとうとと細く瞼を開けている。顔色が随分良くなった。焼いた皮膚を見て、レヴはそっと胸をなでおろすと女に目を戻した。
「適切な処置をしてくださったおかげで失血がだいぶ抑えられています」
「あんた……あんたは、いや…誰でもいい。助けに来てくれてありがとう……」
女ははにかむと、さらに上着の前を開けて内側から鉱石を取り出した。手で握っているだけで二人の体から冷気が遠のいた。
「服の中に入れておいてください。理力石で………どうしたの?」
白狼が壁をすり抜けて飛び込んできた。重さを感じない軽快な足取りで女のそばに立つと、鼻先を腕に押し当て、何かを渡そうとしている。女が手を出すと、狼の口から黒い石が転がり落ちた。
女は白狼の顔を撫でようとしたが、その前に霞のように空気に溶けて消えてしまった。女の手が空を切る。
その時、初めて女の顔が曇った。思わずレヴの手が伸びかける。何故か無性に慰めなければならないような気がした。
女は眉を潜めながら黙っていたが、しばらくして顔を上げた。
「……これはこの辺りで採取している石ですか?」
横からすっと手を伸ばし石を掴む。黒い結晶の断面には白っぽい線が走り、ところどころ粉末になっている。黒い水晶だった。
「いや。天盤から落ちてきたんだろう」言葉にしてから頭を振る「いや、ちがう、違うな。今日初めて見つけた、俺達は第八坑にいて……槌で叩いて……そうだ、音が…それから、それから落ちた……そうだよな?」
水晶を持った手を顔の前に近づけると、体を前に傾けたレイクが弱弱しく頷く。
リーリートはレヴから黒水晶を受け取り、手のひらの上で転がした。
表面はざらつき、親指の先ほどの大きさ、太さは指二本分だ。完全結晶ではない水晶の欠片だが、表面は多結晶のように乱雑な光の反射を起こしている。
深奥を見通すことはできない、闇を押し込めたような漆黒の石だった。
(理力が散っていく………)
リーリートの理力は今まさに吸い出され、手のひらの上の石に吸収されていた。
そしてこの石は彼女の意志に反発するように理力の制御を受け付けなかった。理力を飲み込むだけの、不可逆の石―――白狼が形を保っていられず霧散したのも、この石が原因だ。
トトの尽力により、はるか遠くに落下した二人の理力を探すことができた。白狼の遠吠えがここに空間があることを教え、距離を算出できた。あとは地上に転移さえすればいいというのに、地上へ戻るための理力を己の身に留めておくことができないでいた。
この黒水晶はいわば、理術師の天敵なのだろう。
「……なぁ、大丈夫か」
―――問いに、リーリートは黙って二人を見つめ返した。
黒水晶に空気中の理力が吸われていくのがリーリートの目にはっきりと映っている。
障壁の腰あたりまで水が来ている。その渦はまだ留めておくことができるが、いずれにしても限界が来る。




