355 肉料理:----・------(147)
「……よくわかったわ。貴方は男が女にすることを何でもやらないと気が済まないのね。愛することも侮辱も暴力も」
「物は言いようだな」
「気づいた人は今までいなかったでしょう」
「ここまで近づいたことはないからね。他の女に触れることは信頼を裏切る行為だよ。といっても、特に抱きたくなる女も居なかったが……すまない、君の前で直截的なことを言うつもりはなかった。忘れてくれ」
「ヴァヴェル……ここに居る人たちはもういない……」
「そうだね、私が殺したから」
そう言うと彼女は今し方まで斜向かいに拒んでいた体から甘さを消し去った。通りかかった老人の挨拶にも商店の呼び声にも耳を貸さず、心は既に街並みを飛びすさって私の方へ引き返していた。
君の魂がすぐ間近にあることがどれほど嬉しいことか、想像もつかないことだろう。腰を抱き寄せると二つの体は簡単に重なった。享楽が波のように足元を誘い、触れた場所から慰めを得る。ちらちらと漏れていた気掛かりが一つ消えて、すっと体が浮いたような感覚がした。
(嬉しい……)
散々痛めつけられたあとに男の滑稽さを受け入れてしまう惨め女のように、"私"は簡単に彼女を腕におさめた。彼女が誰を想い、脳裡に思い浮かべているのが別の男でも、構わない。こうして私を受け入れてくれるならそれでよかった。
「貴方がみんな殺してしまった……」
「……いいよ。もっと言ってくれ。私はいつも君に籠絡されたいんだ…………泣いているの?」
ヴァヴェルにとって二人の語らいは、いつか顔を覆って泣きだすリリィを抱きとめる為の儀式だった。
彼女は自らの無償の奉仕が、困窮者たちの苦痛を一時的に緩和するだけの偽善的な延命行為だという事実と何度も衝突し、飲み下すために時間を要していた。私はその度に切々と道理を説いたが、彼女を責めた事は一度もない。
困窮者が一人で生活していけるように、時間と労力、そして一人に対してそれなりの資金を費やしても、涙を流して礼を言って別れた数日後には、物言わぬ骸となった無残な姿と再会することがよくあった。断っておくが私が殺めたわけではない。彼らに手を掛けた分だけ、心を入れ替えて他の誰かの援助にまわってくれるなどといった奇跡は起こらず、迷惑をかけるだけかけ心配をさせるだけさせて死を選ばれることが多かったのだ。そもそも困窮するという事は、それなりにあった選択の機会で最悪を選択し続けたという事であり、原因のいくらかは当人に在ることが多い。これに異を唱える者は目も耳も潰れているのだろう。困窮は必ず困窮に帰巣する。人が悪循環から脱することは容易ではないのだ。
そうした悲しみや徒労に負けず、支援活動を続けていた彼女や賛同者達は、とても寛容な心の持ち主だったといえるだろう。彼女達を見ていると無限かと思われた"優しさ"は、有限であることも知った。
聖女と崇められていた彼女も人知れず傷つき、心を落ち着かせる時間を必要とすることがあった。
他者へ捧げる優しさは定期的に枯渇し、自分へ向ける筈の優しさを削っていた。私からすれば根本原因――悪循環の元を断つ事から目を背けて偽善遊戯に勤しんでいるように見えたが、一度だけ私の信条を話し、互いの信条をぶつけあった日以外、彼女の自主性に任せて口出しすることはなかった。
善人は遠回りして余計な手順を踏みたがるものなのだ。おそろしいことに、傷つき迷い、私の隣で息継ぎをした彼女は依然として同じ偽善の世界に引き返し、茨の道を進むことを選んだ。海の底へ潜り、体中が押し潰される圧力にも負けずに彼女は土に膝をつき、傷ついた者の手を取り、傷を癒し、私財を投じて艱難を取り除いていった。何がそこまで彼女を追い立てていたのかはわからない。はっきりとわかっていたのは、彼女の信条を覆すことは私にもできないということだけだった。
「私はあの頃の私かしら……?」と、肩口に顔をうずめる彼女の声が体を振動させる。顔は見えなかったが、温かいものを抱いている幸福な感覚があって、私は頷きを返した。
「君はあの頃に戻り始めているよ……分け身と逢って魂の一部を吸収したんだろう。だから私の事が気になって仕方がないんだ。嬉しい……ずっと待ち望んでいたよ……」
かねてより用意していた明るい未来がすぐそばに或るような気がしていた。だが、すぐさま彼女が「そう」と平坦に言った事で直感がいう。
"まだその時ではない"、と―――
「滅びよ」
美しい人声がそう言った。




