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リリィ 思いつくままに書きとめたささやかな覚書と一切の崩壊。無力な愛、ひとつの不幸、ただ愛を愛とだけ欲したある価値の概念  作者: 夜行(やこう)


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352 肉料理:----・------(144)

「いいえ、いいえ、違う。声をあげることも行動よ。それに貴方は話をすり替えたわ。規律の話をするなら、他人の命を奪う事は許されていない。だって、命はひとつしかないわ。ひとつの器にひとつだけなの。貴方はそうしなくても生きることができるのに、他者の権利を根こそぎ奪ってまで生存するなんて暴力的なことだわ。そんな風に簡単に言ってのけることではないの……みんな誰かを愛し、愛されている。愛する心を持っているなら、愛しい人を奪われる苦しみだってわかるでしょう?」

「あぁ……私が理解しないことで君を傷つけてしまったんだね。謝るよ」

「ヴァヴェル……」


彼女の両手を包む。永遠を誓い合う恋人たちの様に手の甲に唇を乗せると、裸の心がそのまま抜き取れるような気がした。


「もう一度、あの日と同じ言葉を世界に告げよう。私、ヴァヴェル・イシュトバーンは君以外を大事にすることはこれからも一生有りはしない。君だけを愛し、君に愛される資格を有しているただ一人の男となることを誓う」

「ヴァヴェル……!」

「まだ終わっていない」


指を眼前に立てると彼女はぐっと言葉をのんだ。過去に躾けた事がまだ生きているようで喜ばしい。


「何故なら私の主義に反するからだ。でもおかしいね、リリィ。有翼種に翼をむしり取って生きろとは言わないだろうに、私が生まれながらに持つ能力は制限しろというのかな? 君はいま酷く混乱しているんだ。目前で起こった悲劇に耐え切れずに、私を糾弾するという安易な方向に舵を切ってしまった。もしも君の見えない場所で転生が行われていたとしたら君は何も関知せず、心を痛めることも無かったのにね。あぁ、やはり"これ"が、この"愚物"が君を広間に連れてこさえしなければ良かったんだよ。見なくてもいいものを見て泣いたんだろう……君は本当に可哀想だ」


ディアリス・ヴァンダールの体は、一つ前の耄碌した体からは若返ったが、大主教の衣裳に染みついた欲深さが手に負えない堆積を見せている。吐き気を催すほどに嫌悪しているが、これからの立場を鑑みると優秀な器ではあることも確かだった。そして何より"小さなリリィ"とは面識がない。そう、ほとんど、無かった。分け身がこの男と関係を持つまでは……


(分け身を滅ぼすにはどうしたらいいだろう。けれど彼女の一部でもある。できれば浄化してから……そうか、抱けばいいのか。一度受け入れているのなら何の障りもない)


一度決意すると、問題が片付いた余韻がヴァヴェルの精神に安らぎをもたらした。頭の中で分け身の腕を掴み、身体を割いて、恋と呼ぶような激しい欲を弄ぶ様子を思い浮かべる。すると、長い鞭を持って遠乗りに行った清々しい記憶が引き出された。馬上から最愛を見落ろす自分の姿も。彼女は馬には乗らない。そんなはしたない事をしていいわけがない。


「他の人に与えられたものを強請ったり奪うなんて、いけないことなのよ」

「……そうかな?」


耳を通り過ぎていた声を遅れて理解する。辛さを感じるあまり胸元をさする手が、豊かな乳房の上に枝影を映すのを見る。美しい仕草を私は何一つ見逃さぬように努めていた。


「……人は家畜を食うために育て、土地や水を汚染し、排泄をして、汚れた息を吐きながら生きている。反面、隣人を労わり、手を差し伸べ、共感し、同情し、愛し合う。みな同じように生きて死ぬ。そうするように作られているからだ。でも私と君は違う。君は君として生きている。ならば、私が私で在るがままに生きて、誰に憚る必要がある。家畜を殺す前に丁寧に謝罪をしていると思っているのかな? 調理された肉を口にする時、名も顔もわからぬ何がしを想像することがあるというのかな? ない、有りはしないね。だって優しい君は、そんな事を考えてしまえば何も口にできなくなってしまうから。リリィ、内面までも美しい君がとても好きだよ。心から愛している。だから視野が狭くなってしまっても責めはしない。一緒に解りあってゆけばいいのだから」

「行きつくのは貴方の考えになるのでしょう。わかっているの、いいえ、わかりすぎてしまった」


湖畔に在る小宮殿は、複数の円柱に丸い屋根のかかっただけの簡素な造りだが、その中心で美貌を翳らせている彼女の言葉はまるで演説をするかのように冷たい空気の中に相応しく張り詰めた声を捧げていた。彼女が抱える憐憫は灰色の空に覆われた世界には相応しく、小宮殿は灯が入れられる前の灯籠のようにたたずんでいる。

彼女が笑えば木立の影の上までも花が咲き、髪を乱す気持ちのいい風が湖面を駆け抜けていくのだろう。そうした光景に目を輝かせるさまを見るのが好きだ。はにかんで、私の名を呼ぶ彼女が好きだ。その瞬間を考えると自然と頬が綻ぶも、俯いた彼女の視界にはうつらない。






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