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リリィ 思いつくままに書きとめたささやかな覚書と一切の崩壊。無力な愛、ひとつの不幸、ただ愛を愛とだけ欲したある価値の概念  作者: 夜行(やこう)


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350 肉料理:----・------(142)

「其処には汽船やら小舟が溢れ、旅の終わりを祝う男女が抱き合っているのが見えた。何のゆかりもない他人の喜劇に祝福を贈ってやると、人々は私に気づき、神に至る媒介者であると崇めた。流星が次々と地に落ち、人の生涯がちかちか光る星の中で瞬いていた。強烈な理力の行使は、権威の行使となる事は、君もよくわかっているだろう。それまで分裂しやすく脆かった共同体が、突如現れた権威によって覆いかぶされ再編成される。私の存在は古めかしい遺物といったところだが、彼らにとってはそうではなかった。驚いたことに、時が流れるうちに理術者の数は減り、身の内に貯蔵されている理力は簡単な傷を癒す程度の矮小な段階に成り下がってしまっていたんだ。私達が生きた"時代"はいわば古代的な用語の世界となって、高度な社会は解体されていた。衰退の理由はさまざまあっただろう。複合的な不幸だ。眼前の民衆は一見したところなんの変化もないような至って普通の子孫だった。貨幣経済に足を踏み入れたばかりの簡潔な構造を軸としていて、理力の有無も種族の差異もなく一つの大きな仲間意識によって臍帯していた。陸に上がった私の前に列ができ、割り込んでくる人もあった。みな一様に世間と自分との間に現れたもう一人の"世界"に触れようと躍起になっていた。私は日の下ではなく暗がりに座っている老人に目を向けた。両手足に包帯を巻き、そばに行くと肉の腐った臭いと屎尿の臭いが混じりあって後ろに続く者はいなかった。男はどのくらいそこに座っていたのだろう。疲弊し、顔を上げる事も指を動かすこともせず、地面をじっと見つめていた。私は埃と垢まみれの髪に手を翳し、そのあと肩に触れた。老人はやにの溜まった目をゆっくりと持ち上げ、私が包帯をといていくさまを無言で眺めていた。かなしげになって、もうどうでもいいと零落していた表情が、目先が急に開けて腕白に喜び騒いだ。民衆も無傷の体をみて、空を割るような喜びの声をあげた。神だ、神が現れたと誰かが言った。あの瞬間、"理力"という言葉は我が国に二度目の定着をしたように思う。それから、私は"龍下"と呼ばれるようになった。本来、神の御許に座す者としてみだりに口にすることを禁じられていた言葉だった。だが私をより広く、誰しもが畏敬を持って呼べるように"龍下"という言葉が用いられるようになった。私にとってその時代の民衆は、瓶の底に溜まった澱のようなものだ。取り去ろうと指を伸ばしても決して届かない。私は君を探す土台として、社会自体を整えていった。人々は宗教に根ざした規範にしたがって暮らした。行動を規制するのは法律の役割だったが、さらに深層の個々人のなかには愛という秩序が存在していた。愛は人の意識の形態の一つとなっていた。君がいないのに、そういった理解ばかり確立していくことはひどく……出さずにしまった手紙の束は、時の層の分だけ積み重なった。君宛ての手紙だ」


私が懐かしむ間、リリィは決して口を挟まずに沈黙を選び続けた。人の話を遮らないところは彼女の教養の高さや忍耐強さを如実に表していて、そうした人徳の高さを彼女から感じると、自分のことのように嬉しかった。沈黙は先程までとは異なり、闇の中で暖かな光を抱きすくめるような感じがした。私に寄り添おうとしてくれている。今迄語ったことのない昔話は、私の苦労や人柄を表し、彼女の拒絶を部分的にとかす純粋さがあったのだ。実際、眠りについていた彼女は展望が開けぬまま愛情だけを頼りに、憐れで、尋常ではない道を歩んできた私のことは何も知らない。


「貴方は……そんなにも私を愛しているというの?」

「うん」


やっとわかってくれたのかと、彼女以外のものが霞んで見えた。私の生涯を一瞬にして変えてしまえるのは彼女だけで、彼女の両腕は何か不断の力によって私達の間を遮っていた。


「いまこの瞬間、貴方は誰なの?」

「? 私は私だよ」

「鐘の音が聴こえていて? ……アクエレイルではなくて、アクエレーレの鐘楼の音が……私達はそこで祝福を受けたことを覚えている…?」

「なんて?………アクエレ―レ? 懐かしい名前だけど……君と祝福は受けた覚えは……」

「いいえ。いいえ、行ったの。私達は祝福を授けていただいた。貴方は目を天に向けて、苦痛を試みないように懇願した。御身の目にはすべて隠すことなく明らかだと」

「リリィ? 誰との記憶を思い出している」

「忘れているのは貴方なの……ヴァヴェル、貴方なのよ……」

「何だと……いうんだ」






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