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リリィ 思いつくままに書きとめたささやかな覚書と一切の崩壊。無力な愛、ひとつの不幸、ただ愛を愛とだけ欲したある価値の概念  作者: 夜行(やこう)


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35 白狼と、

地面が上下に揺れ、大きく鳴り動いた。


レヴはレイクの上に覆いかぶさり、股座を広げ、尾を伸ばして全身を使って盾となった。背中に岩が落ち、鋭い衝撃に一瞬呼吸が阻まれる。砂が舞い、深く息が吸えない。音がレヴの存在を潰したくてたまらないというように四方から襲いかかり、耳と脳味噌を問答無用に蹂躙する。レヴは「生きている実感が湧くくらいだ」と頭の中で笑いながら、次の痛みに身構えた。


角灯は費え、なにもかも闇の中だ。だからどれほど苦悶の表情を浮かべても、胸の下にいる瀕死の男に伝わる事が無いのは幸いだった。


砕けた。足の骨、肋骨も。痛みが脳の許容範囲を越える。感覚は既に麻痺していた。

堪えるレヴの気配に、レイクの心には悔恨が去来していた。―――たった一人の家族さえ手放して、今また半端な怪我をして満足に死ぬこともできない。相棒は自分の命を投げ出して、こんな男を生かそうとしている。生きていてなんの意味があのだろう。だからもう庇ってくれるなと、そう思いながらレヴの体を掴むレイクの顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた。傷口を焼かれ、さんざっ腹迷惑をかけ、失禁し、意識を失い、何もかも曝け出して、それでも生きようと縋りついていた。どうしようもない。こわくて、つらい。死にたいのに、生きたくてたまらない。どうしてもこの人に生きて欲しくて、息が詰まってどうしようもなかった。


地面は割れ、石の雨が降る――――。


レイクの頭の中で、悪魔が大口を開けて笑っていた。長い舌を突き出して、「支度ができているぞ」と言っている。

レヴさん、お願いだから、自分を守ってくれよ。レイクはほとんど残っていない力を振り絞りレヴの腕を掴んで退かそうとしたが、


「はッ、バカにすんじゃねえ…!」


レヴの怒声がレイクの悪夢をかき消した。

レヴは己に叫んでいた。痛みに堪え、あまつ享受するなど我慢の限界だった。


レイクの手首を掴んで強引に背負いあげる。洞穴の前後は何も見えない。けれど首筋にあたる息遣いはまだ命があると伝えている。レヴにはそれだけで充分だった。

もしも助かったなら、妹に逢いに行けと言ってやる。もしも足元に積み上げた過ちに身動きが取れなくなったというなら、


(なら俺が…!)


レヴは足元を塞ぐ石を蹴飛ばし、相棒を背負いながら暗闇に踏み出した。


瓦礫の雨はやまない。今度こそ押し潰されるのかわからない。

息を切らしながら走った。ますます烈しくなる鼓動が体中に血を廻らせ、痛みを越えた頭は死を凌駕したような気がした。レヴは生死の別れ道を他人に用意されたくなどない。死から遠ざかるように、あらゆる苦痛をなかった事にして走った。


レイクの頭ががんがんとぶつかる。その耳に遠く背後からの水音が入ってくる。

レヴは思わず振り返った―――水音に引かれたからではなく、真っ暗闇を照らす光に導かれた。


「――――」


一匹の白狼がそこにいた。

不思議な事に、落石はある一定のところで停止していた。世界は静寂に包まれ、まるで見えない壁に守られているように、二人の頭上で石が積もり始めた。





坑口で待つボイエスとボイルも立つこともできぬ揺れに襲われていた。

角灯の火が坑口の奥でばらばらに揺らめくのが見える。坑木は頼りなく見え、入坑した者達の安否が気にかかって、居ても立っても居られず戸口に近寄った。


すると、ぷんと馴染みの臭いがした。垢たぎった鉱夫の臭いだ。ボイルの慌てた声に振り返ると、陸揚げされた魚みてえに地面に男達が引っ繰り返っている。


眼をぱたつかせ駆け寄ると、拳を握ったまま土の上に吐き始めたトト、灰桜の掘子、エド―――そして真ん中に理術師の女が座っていた。

救出部隊全員が戻ってきた。ボイエスの歯は喜びで震えた。しかしレヴとレイクの姿がないことに気づく。


女は愕然とするボイエスに向かって「誰も坑道に入れないでください。もうすぐ沈みます」と言った。

そして直ぐに―――消えた。残るのは、ぬかるみに残った足跡だけだ。


ほとほと現実味が無かったが、男の常識はとっくに壊されていた。

ボイエスは地面に伏せる男たちを介抱するために動き出した。









――――目の前の白狼はこの世のものではない、とレヴは後退った。


その黒い眼で確かに男達を認識している。真っ直ぐに立った耳が小刻みに動き、何かに反応して狼は天上を見上げた。

前脚を岩に押し付け、仰け反る。岩の上に伸ばされている長い尻尾が持ち上がり、左右に動く。

狼は短い声で数度鳴いたあと、長くしなやかな鳴き声を響かせた。

そして力強い遠吠えが終わる頃、


「レヴさんと、レイクさんですね」


すぐそばで生身の声がして、レヴの心臓は止まりかけた。






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