344 肉料理:----・------(136)
私は彼女が恐怖を抱いてるさまをみても、心を動かされることはなかった。私すら押し流そうと必死になっている彼女の前でもう一度笑顔を作ることもできた。私は彼女を愛している。今まさに酷薄な申し出を受けても、愛情はいつでも燃え盛っている。
「私は君を愛し抜く。今迄も、これからも。そうする事の出来る屈指の人間だと自惚れすらある。だが……君を失ってから、出し抜かれることが多くなった。いや、いっそ……そればかりだ。君に、……わかるか。最愛の人が余所の男に心を寄せていると……知ることが……どんなに……苦痛を伴うか」
「死んでしまいたいのよ……」
「……できないことを言わないでくれ。私にはどうすることもできない……確かに私は公明正大に愛していたとは言えないだろう。私の愛は嗜虐と表裏、切り離せることではない。君が長命を定められているように、私は君を穿つ剣であることを強いられて生まれた。かつて………この話をするのは何度目だろう、もう、いい加減に……」
いつの間にかリリィの手を握りしめていた。水分と血肉のほかに、この女の体に満たされている毒が男の生涯を麻痺させる。あれほど一つになることを希っていた日々に、互いに流し込んだ唾液の中に自由のきく毒が仕込まれていた。私達は甚だしく抵抗することもなく、互いの一部を飲み込んでも大事に至らなかった。君が私を愛し、私も君を愛していたからだ。愛と毒は表裏なのだ。淫猥の限りを尽くし、幸福を運んでくれた微笑みは、今や不幸を生み出す表情に変じた。本物の不幸を注ぎこまれる。私は報復を受けているのだろう。
私達は破綻していた。それはとうに理解していた。私が彼女を追い詰め、失いたくない心と板挟みになった挙句殺戮を選んでしまった。彼女の心を壊したのは私だ。空も、海も、美しいと思えないが彼女だけは美しいと感じることができた。目に見えず、重さも量る事の出来ない心は私の手の中にずっと在るものだと思っていた。だが、目前で消滅したのだ。私の目の前で愛は終わったのだ。
「やめて」―――彼女はまた繰り返した。あれほど愛に溢れ、喜悦に微笑み、舌を交えた口づけも、一度壊れた心では深く重い吐息しか溢すことを許さない。やがて私を顧みない独り言だけが、この醜い作り物の世界を埋め尽くし始めた。もう既にこの夢幻の庭は、私を殺す嘆息で埋まっている。
「もう……息ができない」
彼女の肩に頭をもたれ、追い詰められるように目を閉じた。
どうして、私達は同じ痛みを背負えず、どうして、同じ感覚を持たず、どうして、同じ心情になることができないのだろう。愛し合った日々は偶々二人の魂が殆ど一致していた奇跡とでもいうのだろうか。それとも、彼女は私に合わせて遠慮し、自らの言葉を封じ込め、好んで私の画布の中で磔刑にかけられていたとでもいうのだろうか。彼女はどうして、心から叫んだり、枕を引き裂いて泣いたり、身体を繋ぎ止める為に必死に「行かないで」と言ってくれないのだろう。「愛している」と、いつも、そう言うのは私の方で、指はいつも絡み合っているようで、私だけが握りしめているだけだった。
「君の周囲を飛ぶ目障りな羽虫を殺した。男も女子供、家畜、生き物、すべてを滅した。嫉妬にかられて、どうしようもなく、君以外を殺さなければ満足できなかった。後悔はない、ただ途方もなく疲れたというだけで、快感もなかった。だが、君は虫を悼み、君を利用していた者どもを思って衰弱していった。私は過ちを犯してしまったとあとになって気づいた。リリィ、脆弱に魂を囚われた君に何度も謝った。謝罪は許しを強制するものではない。それはわかっている。それはいいんだ……君が贖う時間は、君を愛しく思う時間と相違なかった。今もまだ悔悟を知ろうと努めている……君はそんな私を……裏切った。見せつけているのだろうかと、疑ってしまう。悉く愛を変形させて、私と言う土壌に不幸の種を蒔き続ける。君は……ぜんぶ私のせいだというのだろう。初めに裏切ったのは私だと。だけどね、リリィ……君が他の男に抱かれることを、どうして受け入れることができる?」
「もうまやかさないで……私をひとりにして……」
「……いつまで?」
「ずっと」
「君は……私に孤独を与えるんだね……」
「責めるのはやめて……」
「どうして受け入れてくれない……まさか、この男のことを愛しているのか?」
抱き入れなければ容易く倒れ込んでしまいそうな体を離し、立ち上がって彼女の前で胸を叩いた。彼女は青褪めながら必死に首を振った。
「違うわ!」耳を塞ごうとする手を掴んで、胸に押し当てる。急な動きに咳き込んだ彼女の唇を、つと、唾液が線を引く。
「これに抱かれたか? それとも抱いてやったのか? 答えてくれ」
彼女の瞳にうつる私は悪魔のようだった。怒りに燃えた眼は硬直する女のことを稲妻の如く照らした。




