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リリィ 思いつくままに書きとめたささやかな覚書と一切の崩壊。無力な愛、ひとつの不幸、ただ愛を愛とだけ欲したある価値の概念  作者: 夜行(やこう)


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339 肉料理:----・------(131)

女はゆっくりと微笑み、立ち上がった。膝から逃れたリーズは脚に身体を押しつけたあと、湿気の篭った風に飛び込む。風は白狼の尾に興味を示し、ふり乱して彼を追いかけていった。当然、胎内にある魂も離れていくが、シルヴェーヌは自己の道を堅固に照らす女の声をはっきりと聴いた。


「……彼を悪く言うのはやめて。貴方の言葉と同じくらい、その裏にある言葉にならない出来事も劣らず重要なことなの。彼が起こした運動と発展は他者の意識に到達し、時代となった。アクエレイルの基盤をつくり、未来を生成した功績を認めないのは不当だわ」

――何を言っているのかわかっているか

「原因を今更探っても仕方がないでしょう」

――いちばん重要な事柄を過ぎたことという。なぜそんな間違いが起こったか考えることもしないというのか

「少なくとも私が眠り続ければ、完全な間違いは起こらない」


シルヴェーヌにもし人の体があれば、口角を上げて満面の笑みを浮かべていたことだろう。喜悦を露知らず、拒絶の視線を真っ直ぐに送ってくる女は説教壇上から神のみことばを告げる司祭より激しく心を武装していた。


良い傾向だと確信し、シルヴェーヌはさらに言葉を探した。彼女をなるべく怒らせ、彼女が築いた擁壁を切り崩してやろうと思っている。あの男を辛辣に言ったことは間違いなく本心であったが、男の為に吐息を費やす方が罪である。

彼女は他者の悪く言わず、きわめて保守的で、常に万物の奉仕者であろうとしてきた。言い換えれば、万人の言いなりとなって生き続けてきたのだ。聖女、女神、奉仕者、奴隷、言いなり、従順、飼いならされる、踊らされる……これは言葉遊びの範疇であり、すべて彼女の名である。実際に彼女に救われた困窮者や艱難に嘆く人々の数は確固とした証明力があり、もっぱら奉仕の道だけを歩んできた彼女の生活は多くの感謝と愛情によって支えられてきた。


彼女は真剛事(まごうこと)なく善人だ。疑いようもなく、絶対的な真実である。

だからこそ命を幾度も捧げ、理性にもとった立場を取り続けてきた。

だが、周囲はどうだろう。彼女を利用してきた男どもは自分たちの生への衝動を処理できず、彼女を死へと追いやり、膨大な理力を得た。首尾一貫として彼女はそれを罪とは呼ばない。さらに「功績を認めないことは不当」といった発言で、未だ追いかけてくる男のことだけでなく、かつて彼女の体に刃物を差し入れた対外的な諸関係もろとも弁護しようというのだ。


このことからも彼女の根底に奉仕関係、言い換えれば男の為に身を捧げる支配的な関係がいまだ根付いていることが窺えてる。虫唾が走るとはこのことだ。彼女は「数多の男に何度も殺された」にも関わらず、死は自らの立場に相応しい役割だと捉え、手段に及ぶ人民を擁護している。


人は弱者を愛してしまうものだ。窮状にある人物を見捨てられず、贔屓してしまう。彼女は殊更その気が強かった。男たちはその信仰につけ込み、彼女に「死」だけを与えて、褒賞を得ていた。


蛮行をどうして認めねばならないのだろう。暴力行為をした相手に大きな功績があったとして、庇いだてする必要があるだろうか。彼女は「病」におかされていることを認めたがらないのだ。シルヴェーヌは毅然と立つ片割れを内心鼻で笑った。


――その体に集積した魂を見つめず、道具として使ってこそ意味があるというのは自己疎外の理論だ。おまえ自身も、男の理論を使っている。おまえの根本にある問題は、そういう愛の履き違いだ。余はな、今だからこそはっきりとわかる


ディアリス・ヴァンダールとの屈折した関係は、シルヴェーヌにとって自己愛、すなわちリリィへの愛と憎しみを対決させるための道しるべとなった。旅路のなかで、彼女に宛ててこう囁いたことがある。


『余の前を数多の命が通り過ぎた。人はみな抗うことができず、突然「生」の芝居に「死」の幕を下ろす。人の営みを映す舞台の前で余は、時に美しく、時に空しく、時に怒りを感じていた。人々がいたるところで出逢う食い違いや、信念のもとに戦う姿……生死の隊列の前で余は詩人であり評論家である。おまえの為だけに贈られる詩と評論、そこに共通しているのは、見送ったあとの悲哀だ。どんなに豪華で、悲惨な舞台が雷鳴のような拍手に包まれても、静寂を避けることはできない。がらんとした空間に、余はひとりだ。幕を下ろした舞台はかたく我らを拒む…………それはとても物悲しいことだ……余は、私は、おまえは、人にはなれないのだ』


そして今、つけくわえてこう思う。


(だがな、リリィ……舞台に立ってもなお悲哀が胸を埋めているのだ。けっしてまともな男ではなかったが、自分の欲望を追及することにかけては熱心だった。これはまるでどこぞの男のようではないか……男はみな愚物、だが女もまた愚物なのだ)






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