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リリィ 思いつくままに書きとめたささやかな覚書と一切の崩壊。無力な愛、ひとつの不幸、ただ愛を愛とだけ欲したある価値の概念  作者: 夜行(やこう)


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329 肉料理:----・------(121)

――シルヴェーヌ、自分を許してあげて


扇が落ちる。取り落とした手で顔を覆った。まなこは闇を見ているが、薄汚れた自分の顔を見ているようだった。

女はすくりと立ち上がると、腕を挿しいれて貴人を抱き寄せた。唇にふくんだ愛情で男の頬や首をかわるがわる宥めた。いま貴方の事だけを考えているのと、言葉より雄弁な慈愛が伝わってくるというのに、自分の心には別の男が浮かんでいることが貴人を思い悩ませた。


与えられる無償の愛に耐え切れず、たまらず腰を掻き抱いて女を持ち上げると、足の浮いた感覚にあっと声があがる。咎める声とは裏腹に笑い声も聞かれて、これだけの理由で笑顔が露骨にでる自分に嫌気がさした。足元に光の波紋が生まれ、絨毯の上は金色の水面になっている。心を落ち着かせるために時を稼いでいるのだと、そういう魂胆を女ははっきりと見抜いているとわかっているが、何も言わない優しさが身に沁みる。信頼に応えなければならない。一言目を口にすると、あとはもう歯止めは効かなかった。


「……………厄介至極な男とわかっていても気に掛けていた。あんなものでもな。来てみれば、うまく逃げのびたではないか。それに謝罪の言葉ひとつなかった。あぁ当然だ、あれは繕いがうまく、自分の不利になるようなことはしない。何ともいえず嫌な味が残されるのは、この世でただひとり。能力の劣る男を深く傷をつけた気でいたが、もう逢えないとおもうとここが疼く……この"傷"はなんだ? どうしようもない胸の痛みは何だというのだ」


無音にした事が裏目に出て、幼稚な言葉がいやに耳につく。愛してはならぬ相手を愛してしまった。愛おしんではならぬ相手を愛おしんでしまった。否定しなければならない。あんな男、死んで当然だと思っている。間違いではない、最低な男だ。だけど今、胸奥に浮かぶのはその最低な男なのだ。ならば私も最低な男ということになる。


「裏切りは余がもっとも嫌うもの。万死に値する。余はおまえが死ねと言ったら死ぬ、お前の為に在りたく、死も畏れん。あぁ―――呪うぞディアリス、これでは"同じ"ではないか……死をちらつかせるとは低俗な……愚物め。こんな気持ちは要らぬ。要らぬわ………」


迸った情感によって雁字搦めになっていく。あの男と自分が組み合わさり、醜悪な化け物に変化することは耐えがたかった。


「散々口汚く罵ったものと同じ境地に達したのだ。なんと下らない結末だろう……とんだ笑い種よの」


真向かいに見上げてくる顔は、かすかに眉を寄せて、口元には否定が漂っている。何も口にされたくなく、苦々しい顔で見つめ返すと、かぼそい指が額にかかる髪をのける。


「余の目はそなたの目。この屈辱も伝わっているだろう。この混沌と、動揺も……すまぬ」


どこで読み違えたのかわからない。別個の魂として時を過ごし過ぎたのだろうか。彼女という貴い化身の裏に、自分の席があることが恨めしい。

これが結果だろうか。外の世界を望んだ女の為に、種々の生き様、情緒の移り変わりをうつしとってきた目は最後に己の哀傷をみつけだしたというのか。


「……遠くまで来たと思ったが、足踏みをしていただけのように感じる。潮時なのだろう……」


――きて


彼女は歩き出した。手を引かれ、否応なしに従う貴人とともに、天井を通り抜け、邸の外へでた。心配顔で走る男女などが大聖堂の向こうに隠され、建物や岩があるべきところに立ったまま、二人だけが遠ざかった。終わりのない波が都市に向かって進んでいく。貴人は覚束ないまま唯一無二の女をみていた。都市に押し寄せる白波の連なりと、暗黒の梁を渡した空のあいだ、目に映るものすべてが美しいという顔で、衣をひらめかし、女は世界を眺めていた。


――シルヴェーヌ。樹々に話しかけるとき、彼らはなにも語らないわ。理力も私達の命じるままに作為的な筋立てを構築してくれるけれど、的確な行動をしてくれる彼らにさえ言葉はないの。自然は真実そのものをしめすだけ。言葉をもつ私達は気持ちを伝えあったり、身体を触れあわせてつながることもできるけれど、長い生涯のなかでどれ程言葉を交わそうと、自分以外の誰かを理解し切ることはできないわ。言葉は自分の気持ちを表すことができるけれど、偽ることもできてしまう。しゃべり方も人によってさまざまね。貴方の懐かしい響きも、抑揚や、空気、間隔。とても好き。私達は色々なことを見て、聴いて、好きか、嫌いかを判断している。


「おまえ以外は路傍の石だ。だが、おまえは宝石なのだ、リリィ。おわりのない美、そのものだ。余の成したことで、おまえの腹を満たすことはない。むしろ傷つけてしまった」


――私達はこんなに傍にいるのに、互いのことを遠くに見ている。私はすべてを知り、愛と犠牲かどちらかを選ぶとき、かならず愛を選ぶ。けれど貴方には犠牲ばかりを選んでいるように見えるのね。






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