328 肉料理:----・------(120)
このとき、貴人の脳裏に最初の光景が思い出された。
誰かの手引きで森を走っていた。足音は三つ。鼓動はどんどん迫ってきて、背中に熱を感じた。苔を踏みつけ、木根を跳んで、最後には逃げてと背中を押し出された。そして次の瞬間には鏡の前で己の顔を見ていた。奇妙な事であったが私は何も訝らなかった。
揃いの顔は黙っていると同じく黙り、言葉を解する必要もなかった。が、突然鏡面の中のじぶんが微笑んで、肩を上下させた。ぷっくりと盛り上がる頬肉が目元を押し上げている。あぁ愛い笑顔だ、好きだなと、どこかぼんやりと全体を見て、次に仔細を検める。まだ自分だと思っている。とぼけているのだ。自分でいうのも何だが寝覚めは特ににぶい方だ。
首の半ば以上に詰めた衣と、指先から肘を覆う長手袋。清楚な装いは、神官に与えられる祭服である。顔色も肌も何もかも白く透きとおり、この女はどうやら自分に必要不可欠なものであると感じた。この女?――はて自分のことだろうに奇妙だ。余は男である。
境目のない心地のまま、辺りを見渡す。物がなく、ただ白い背景のみがある。自分はどうしてこのような場所にいるのだろうと、引っかかりもなく視線を戻すと、ぎょっとした。彼女はずっと上目遣いでこちらを見ていた。これは私ではない――おそらく女は私の動揺を自分の事のように感じ取って笑った。吹き出すような体ではない、赤子をあやすような笑みだ。
『お昼寝から目覚めたばかりだから、声をかけずにいたの。驚かせてしまってごめんなさい』
喋った。すると自分も声が出た。
『どうして余を見ておる』
彼女の唇が「よ」と形づくったが音は発しない。余は余である。おかしなことはない。
『そうね、おかしなことはないわ。貴方と私はちがうということを確かめていたの』
そうだ。生まれ落ちた瞬間から、二つの魂は異なっていた。分水嶺が異なる方向に流れ落ちる水の境界であるように、源を同じくして私達は異なる性別をもち、異なる思考をもっている。
貴人は愉快になった。産みの親から何もかもが肯定されて至福を感じているのだとわかっていなかったが、込められた希望をありありと感じ取っていた。喜びに浸りながら、さっと身をひるがえし、その場で円を描いた。光が追従し、かき消える頃には重ね衣をまとっている。貴人の一等好みの清流と水面にさしいれた青葉の柄が斑に生じて、最後にはひとつづきとなった。女も優美な味わいに感嘆して、およその人が惹きつけられる美しい笑みを重ねた。あぁ御馳走のような女だと心から思った。それがおまえだ。私の記憶に残る笑みと、今日も同じ笑みが浮かぶ。変わらない愛しさが溢れてしまうと同時に、変わることのできない私達に悲しみが積もる。
貴人の頬を汗とも涙ともわからぬものが流れ落ちた。袖口でぬぐい取ると、暗雲のように浮かび上がる染みが今様を表しているようである。
彼女ならば、脳に渦巻く靄を晴らすことができるだろう。何を聞いても答えが返る。貴人の長い旅路をずっと見守ってくれていてくれた。生きるということにわだかまりを持ち始めていることも知り、答えを与えてくれるはずだ。しかし想像してみる。葉間に散る陽光のように、彼女の言葉は私の元まで届くだろう。暗澹とした森をゆく私の前に、山間の小路が開ける。山花が風に揺れ、木の実をついばむ鳥が鳴く。なんと明るく、安らぎを感じる空だろう。示された道を歩めば、彼女の所在につながっている。迷うことはない。そのうちに横笛も聴こえてくる。陽が暮れる前に帰っておいでというように。
戻ればもう二度と思い悩むことはない。ないが、
(……遂げてはならぬ願いだ)
――どうして?
今すぐにひとつになって、融けあってしまいたいと願うも、そうしたくないとも思った。相反する願いが一枚の金貨の表裏に合わさっている。内在する"私"と"余"という二つの心と同じく、永遠に反駁しあっているのだ。
――どちらの貴方も首を振るのね。貴方にはたくさんの苦労と迷惑をかけてしまった。言い表せないほど感謝もしている
礼などいってくれるな。伝わっている。
――警笛の鼓動を何度も聴いたわ。私の代わりに色々なものを軽蔑して、たくさんの反動も知ったことではないと無関心に相対してくれた。私が多くを愛するだけ、貴方は対となった。その苦痛は私がつくってしまった。
解っている。おまえの裏側から滲みでた苦しみが私の魂となった。だが滑稽な光景をみて、心を病んだことはない。病もうとも思わない。人は怠惰と愚鈍を必需品としている。しじゅう己を磨きたてるが、根本穢れているのだから光りはしない。陽の反射を有難がるような者を眺めて、時折手にした反物を体に合わせて人真似をすることはあっても、そうした人波に混じることは永久にない。無論、肉の腐って落ちた者や若くして迷妄する者などを見ると憐れには思うが、せいぜいその程度だ。長い時を生きて、麻痺したわけでもない。心の中に呼び起される震えがないのだ。




