322 肉料理:----・------(114)
――"私達"にとって龍下は父であり、神様だった。
新しい司教の赴任式の為に友はいくつかの曲を生み出している。司祭を歓迎する為ではなく、龍下が出席をする催しに花を添える為である。龍下を想いながら、わずかな一音、たかが一小節さえ悩みを深めて作り上げていく様は、彼の実直な性格と龍下への熱量を表していた。
もっとも口を開けば他者の批判、自分と同じ抑圧を他者にも強いる横暴さを持ち、ゆるやかに連合しようとする教職者たちを非難する事も多く、何かと攻撃の的になりやすい男でもあった。ある時そんな男を敬慕してしまった後進が彼の足元へ跪いて愛を朗読することもあったが、常識から離脱した男は共鳴とは無縁であった。愛はいっそ清々しいほどに破棄されたが、後進は言葉を保存するかのようにうっとりと聞き入っている。それでこそ彼なのだと言わんばかりの表情が恍惚に沈むのを見た。
彼はただ龍下への愛だけに生きていた。自身に依存する弱者は必要としておらず、誰からの敬愛も敬慕も嫌っていた。その強い姿勢は、憧憬を向ける男女の涙を絞るだけ絞った。
しかし苛烈な外面とは裏腹に、苦悩と努力の人であった事は知られていない。作曲中、私の作る音には重厚さが足りない、軽薄で、煩雑で、趣が一つもないのだと、頭を抱えているのをよく見た。何を言っても頷かず、改めず、響かず、下手な事を言えばその何十倍も罵倒が返ってくるので私は聴くだけ聴いて口を出さなくなった。彼もまた助言を求めているわけではなく、己の中に深く深くのめりこんでいく。納得できる演奏をしたことは一度もなかったように思う。彼はいつも苦い顔をしていた。
君に必要なのは練度ではなく自信ではないかと言った事がある。助言ではない、ただするりと言葉が出た。怒られるかと思えば、お前はいつまで本ばかり読んでいるつもりだと返された。無論私は反論しようと顔をあげた。どれだけ知識を取り込んでも渇きを得るのだと言いかけて、それは彼にとっても同じことなのだと気づいた。
彼はともかく自分の気持ちの底まで吐き出して吐きだして、そうして全部なくなるまでいきたいんだと、楽譜を引き裂きながら言う。彼の行動は極端で、どこかもどかしく、説明できない居心地の悪さがあった。けれど一貫した熱もあった。他者を巻き込んでしまうほどの熱があった。また飽きもせず尖筆を握りなおし、音譜を綴る男の背中には疲労も後悔もない。ただ夜の色がこびりついているだけなのだ。
(そうだ、これは悔恨だ)
詠唱する私の胸を絶えずうずかせる感情は、思い出も後悔も、すべてのものを包んで生きている。
『っ……! 救わなくては、救わなくては、救わなくては………まだ息はある、あるのですから……生きてください』
語りかけても体の中に閉じ込められた彼の精神は何も答えない。魂が失われる前に治癒しなければならない。彼の腰が痙攣し、足が付随して飛び跳ねる。首は折れて、奇怪な方向を向き、口は真っ白いもので山になっていた。猛烈な泡が白い川となって耳元へ流れていく。それは彼と私の一日、一日を、目に見える形で押し出していく光景だった。
『……無駄なことを』
関節を鳴らした巨漢の男が鼻を鳴らした。シュナフ領の名家―――権威者の足元に跪くことで継続している醜い一族の男が、家畜をみるような目で見下ろしている。
『自分達だけが龍下を愛していると思い込み、傲慢で尊大な態度を取った。それが結果だ。協調する事を知らず、自分に酔って、こちらの話も聞かない。恨むなら己を恨め』
『っ、ここまでする必要がありますか!?』
『わからんな――何を喚くことがある。お前達が先に手を出した。一体なぜ許されていると思うのだろう、わからん』
『それは』
大主教を振り返る。従者たちに囲まれ、首の治療を受けていた彼はこちらと目が合っても眉一つ動かさず、かすれた声で『気にするな。直ぐに治る』とこちらの視線を飛び越え、マッケナに応じる。男二人のあいだに太い線が描かれることを感じた。連帯、連携、信頼、そういった線だ。
マッケナの手がさっと後ろの腰袋にのびて、小瓶を取り出した。川鳥の羽に似た翠色の液体が、床に放られた瓶の中でゆったりと動いている。
『くらっておけ。その低級理術では朝を待つ方が早い』
―――噛み千切った唇の感覚が歯を揺るがして全身に伝わる。歯を食いしばり、治癒術以外の詠唱を必死に押さえる。今私にすべき事は友の命を繋げることだけだ。そう何度も言い聞かせる。耳元で血の滾る音がして、対話を切り上げたマッケナが離れるまで息を止めていた。
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