315 肉料理:----・------(107)
我々は受難を戦い抜く意志があったが、混乱の中で難局に雄々しく立ち向かおうとするホルミス大主教の言葉に一旦は頷く冷静さも持ち合わせていた。
運ばれていく龍下の体に触れることも声を掛ける事も叶わず、シュナフ領の者達に続いて赤の貴賓室へ入った。重傷のヴァンダール大主教はホルミス大主教が身柄を引き受け、うつろな少女はロライン大主教が受け持ち、それぞれ別室へと散った。
不当に断罪しようという一連の騒ぎは落ち着いたかに見えた。しかし、我々はそこでも押し退けられて壁の方に立っていろと言われる。やがて揃いの前掛けや手袋をつけた者達が龍下の周囲を取り囲み、背中で覆い隠してしまった。手元は見えない。理術を試みようというには不要な道具が用意されている。中には鋭利な刃物もあり、かちゃかちゃと不快に鳴る金属音が不安を刺激した。
息を飲みながら見つめていると、長い管や金属の道具は龍下の体に固定され、槍ぶすまのごとく一つの体に先端が集中していくではないか。
『これでは拷問だ!』
『龍下の御身体を辱めるつもりか!!』
――たまらず同胞が叫ぶ。通常の治癒術ではなく、陰気な悪魔的儀式の類いをするとは聞いていない。たとえ主導しているのがシュナフ大主教であろうと、その背中に掴みかかろうと一斉に近寄る。理術を詠唱をすることになろうとも、これは"反乱する"という形ではない。我々は龍下を救いたいという気持ちに突き動かされているだけなのだ。
それが赤の貴賓室で起こったシュナフ大主教人質騒ぎの端緒である。大主教は抵抗せずに我々の眼前に広がる不可思議な器具や儀式が、現段階で取れる唯一の手だと話した。その上で禁忌とされる他者の血を別人へと送入する"受血"を行うと説明した。まったくもって遅い告知である。
『私達は禁忌と知りながら実行に移った。聖典の軛から脱すればただでは済まない事はわかっている。だが龍下に理術を使用できない今、受血によって失われた血を補い、身体を開いて阻害原因を追究する事が私達にできる唯一のことである』
『罪を犯した手で龍下の御魂を穢すというのか?』
『……私達は貴方方の退去を強制しない。貴方方の祈りが龍下の御命を繋いでくれると信じている』
当然、様々な罵倒が生まれた。
禁忌とは侵してはならぬ一線であり、不変の大罪である。龍下の御命を救い上げる為だとしても承知できないことである。
大主教らが何をしようとしていたか仔細に知りたかった気持ちは一転、知ることを拒絶する侮蔑へと様変わりした。悪魔儀式に使われ、身体を切り刻まれることは余りに冷血酷薄であり、揃いの衣装を着た面々が殺人狂の集団であるように思えた。
規律を守りさえすれば我々は「良識的」であったが、それを眼前で破ろうとする者に対しては行動を起こさねばならない。
道具を持って入室してきたひ弱な侍女を拘束し、大主教らの退去を要請する。大主教はすぐに両手を顔の横に掲げ、無手で龍下の横たわる台座から離れた。周囲も倣って金属を手放して、不承不承ながらも持ち場を譲る。代わりに同胞達が龍下の血塗れた尊顔を拝する。
『龍下! あぁ、龍下! このような、このような事に…!!』
『すぐに治癒術を。この器具を外せ!』
『あっ、ま、待ってください! その管を外しては血が流出してしまいます!』
若い男がたまらずといった様子で飛び出してくる。その向こうに冷静な顔をした大主教が振り返っているのが見えた。
『近寄るな!! お前達を信用することはできない』
『お願いします。これは私達が訓練して使用できるようになった特別な道具です。龍下の御身体を傷つけずに抜き取るには……』
『既に傷をつけておいて何を言う!!』
背後から膝裏を蹴られて、男が床に倒れる。シュナフ領の面々を注目していたが、悲痛に顔を歪めた者以外大きな動きを見せた者はいない。ただ大主教だけがさらりと、『デクランはまだか』とだけ訊いた。まるで晩餐の始まりを尋ねるように。
圧倒的無抵抗をみせる大主教の簡素な問いは、何故か室内に静寂を連れる力があった。呆気にとられた侍女がひとり、歯をがちがちと鳴らして口を調整してやっと『お身内の方が広間に向かわれました』と返して生唾を飲み込んだ。
『そうか。待とう』
それきり黙った大主教の首筋に刃物を突き立てたのは、何か得体の知れない術策を弄している気配が漏れていたからだった。
デクラン――それを呼べば全てが終わるような気配があったのだ。
『デクランとは……マッケナの、ですか』
問うと大主教は瞳を弓なりにしならせて笑った。『知っているのか』と顔が言っている。




