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リリィ 思いつくままに書きとめたささやかな覚書と一切の崩壊。無力な愛、ひとつの不幸、ただ愛を愛とだけ欲したある価値の概念  作者: 夜行(やこう)


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312 肉料理:----・------(104)

「……リップ、エトマン。頼んだぞ」


エトマンは腰袋に手をあてたまま深く頷いた。会話はそこで終わり、集団の前へ歩く私の横に男が並ぶ。無表情のままの灰色の眼が反発を抱いていることを知らせる。何か言いたい事があるのだろうと歩幅を緩めると、男が口を開いた。


「……慈悲を与えられたのですか」

「恩赦を与える。手続きを進めよ」

「私の意見は変わっていません」


修正議案を論じた日から今日まで、彼の"即刻断罪"の意思は強固なままだ。


「あの者達は卑しい道具。貴方の庇護下だからこそ見逃していたことも、役目を終えたのであれば浄化しなければなりません。市民は偽りの悔悛に欺かれることはないでしょうし、研究員を罰するに値する充分な証拠もございます」

「法の要求する証拠があるというなら、私も首を刎ねなければな」

「勿論です。貴方の責任も問いましょう。ですが彼らの死と貴方の死では、脅かされるものが異なる……これは何夜も論じ合ったこと。自身を渦中に置くと譲らなかった貴方を、参事会は散々に抗弁して阻んだ。今頃口に何かが残るとでも?」


落命は決している――

容赦のない物言いが心地よく、思わず笑ってしまう。シュナフが首座に座れば、次席にいたのはいつもこの男だった。私はここまでの認識と行動を一致させた男はみたことがなかった。骨と皮ばかりに痩せた顔は市政のために尽くし、己に加罰しながら生を追及する男の清貧な生き様を表していた。


「どうして慈悲の有無を問いかけた」

「審問官としての義務です」

「私が聖父より堕落を選んだと、まだそう思っているか?」

「今ここで誹られることをお望みなのでしたら、そうおっしゃってください」

「そうしてくれ」

「貴方は……気も削がれるというものですよ……」

「せぬなら私が言おう。私は神に対する罪を犯した。禁忌を犯すことは異端であり、首座にあってはならない。上級者の承認を得ることなく、お前が有する権限で即刻処刑されるべきものだ」


審問官は皮の剥がれた唇をかみしめる。


「……医術なる禁忌を選ばれた時にその申し開きをするべきでした。貴方は大きな罪を犯した。影響は計り知れない……」

「死に対して教会は奇跡を有さない。同様に奇跡を起こす有効な法行為も存在しない。しかし医術を究めれば神のみが有する奇跡を数多の人の手に渡すことができる。今生きる命も、これまで棄てられた命も、これから棄てられる命も、私にとっては同義だった。理術による救済は今教会に独占されているが、切り離すべきだと思った。身分の高下を問わず、信仰の有無も問わずに、医術を広めていくべきだと信じていた」

「……」


それはデクランの言葉だ。理力のないデクランの理想であった―――だから私は永遠に雪原の只中にいる。

雄叫びがまた聴こえた。声は私のものであるような気がする。雪の嵐によって掻き消されて、獣の遠吠えのようにも聞こえるのだ。


「教会の規律では神以外なんぴとにも服従してはならないとある。しかし規律に縛られて命を取りこぼすことを是としたくはなかった。私は、」

「やめてください」

「神を恨んだ。信仰はこころに信じていれば充分だと思ってしまった」

「おやめください」

「打ち首か火刑か、決まってしまえば時もないだろう。懺悔くらい聞いておけ」

「悔いるなら、どうして欺瞞を用いてくださらなかったのです。貴方は市民ではなく禁忌(デクラン)を選ばれた」


男の本音だろう。法の番犬が悲しい鳴き声をだしている。


「悔いてはいない。それどころか私は自由を感じている……友よ。罪人の審査をすることがあるだろう? 拘束して苦行を与えたのちに、供述書に自白の文言を書き連ねる。お前はその役目を担うことは少なくなったが手放した訳ではない。自白を得る為に何が行われたかは文面に残ることはないが、審査回数を重ねるだけ自白文言が"追加"されていく。身に覚えがあるだろう」


倫理的な整理をするという名目で、法や手続きが眼中にない凄惨な手段が取られる。密室で行われることは記憶にとっての断罪であり、裁判にかけられる前に多くが死者となって審理は速やかに終結する。審理は審問官の役割である。


「自白を望まなかった者も、鎖でつながれ繰り返し責苦を味わうと、するりと罪を認めるものだ。頑なでも、審理が何節も続けば、臨終を迎える前にしていない罪を認める」

「何をおっしゃりたいのです」


手首を差し出す。「これは勲章だと言われた」"誰に"という言葉をぼやかしたまま、手を捻って刻まれた痣と肉のへこみを見せる。極端に細いのは、鉄輪を長期間くくりつけられていたことによる成長阻害の痕だ。


「鉄鎖の痕だ。元の家(マッケナ家)には爪で刻まれた謝罪の言葉がまだ残っているだろう」






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