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31 花の匂いと、


弱音を吐くまいと誰もが身構えている。心は暗闇の中を手探りで進むようで、いつ奈落に消えてしまうかもわからなかった。それでも、鉱夫たちは親方の指示どおり救助あるいは避難誘導に動いた。


坑道入口の向かい、石壁の建物の中で男がひとり、ゆっくりと顔をこすった。

悪夢を見ているようだ。こういった状況は避けようがない。鉱山で働く限り、覚悟することだ。けれどそれが今日であると予期していた者などいない。今日はまだ号の日、それなのにすっかり節の終わりのように老け込んでいる。疲れ果てている。

落盤、陥没孔、行方不明者二名。どかりと長椅子に身を投げた。男の多弁な口は、重く塞がれたままだ。


オルセン商会の応接間として採掘場で唯一調度品が整えられた上等な部屋には、尻の具合がいい高級長椅子と一枚板の机がある。商会のお偉いさん接待用の部屋だが、日頃は鉱夫たちの溜まり場だった。

昨日ここで膝をつき合わせて興じた賭博は、いつものように盛り上がった。

件の若い二人、レヴとレイクもお上品な置物が並ぶ棚の上に腰かけて、賭けの行方を見守っていた。レヴは人付き合いを避けたがるやつだが、相棒のレイクがいつもの調子で引っ張ってきた。不愛想なつらで酒を呑んでいたが、自分のところの班長が有り金巻き上げられるのを見て、腹を抱えて笑っていた。


青嵐の班長――トトは手持ちの銀貨をすべて賭けたあと、見事に塵になった手札を叩きつけた。今にも机を引っ繰り返しそうなところを全員で押さえる。駆け引きのできない馬鹿正直な男は悪態をつきながらも「次で取り返す」といってきかない。「わかった、わかった」と肩を組んで共に酒をあおった。


男は鉱夫ではなかったから山の中には入らない。事務方の頭脳労働者、折衝役、そんなところだ。けれどそんな男に対しても鉱夫たちは分け隔てなく家族と言ってくれた。彼らとの思い出が無い場所などなかった。目元を手で覆い、冷静になれと己に命じる。



先に沈黙を破ったのは、一枚板の机の上に置いた四角い木箱だった。

格子状の小窓の奥に白く濁りのある水晶があり、振動し、青い光を帯びた。男は体を起こし、木箱の前で遠方にいる【双子水晶を持つ者】の声を待った。

水晶と金属が擦れる音のあと、声が生まれた。


【………コーンウェル、理術師を含めた救援を送った。君からの一報を受け、アクエレイルにも要請は済んでいるが、術師の編成後、採掘場に到着するまでに相応の時間がかかるだろう。私が君に伝えられる言葉は平時と変わることはない。オルセン商会及び採掘に従事する全ての者にはあらゆる理術道具、鉱石器具の使用を許可している。最優先は鉱夫の命だ。教会も援助は惜しまない。以上だ、復唱の必要はない】


教会より派遣されている監督官であったコーンウェルは、机に額を叩きつけた。

足の太い机は強固で、微動だにしない。代わりにコーンウェルの額からは血が滴り、鼻の横に赤くねっとりとした線を描いた。

男の顔はそれでも変わらない。木箱に手を伸ばし、理力を流し込む。男の理力に反応して、水晶が赤く光った。


「推測に過ぎませんが、奇岩が乱立するこの辺りの地形には多分に苦灰石が含まれています。浸食を受けやすく、変容しやすい。陥没孔が発生する土台は、採掘場ができる前から整っているといえます」


赤い光を漏らす木箱を握りしめながら、胸元から煙草袋を取り出す。既に口は開いている。中から一本取り出そうとしたが左手は塞がっていたので、膝で袋を叩き、一本だけ出したあと、口に咥えた。

火を付けず、咥えたままで思考を続ける。

血を出したおかげで多少ましになった頭で。


「………ですが今回陥没孔が発生したのは、坑道を通したあとの場所です。私は鉱夫たちが落盤の前に聞いたという音を追及するべきだと考えています。音、空洞音、……理力、………すみません、現時点ではどんな推測であれ、それを証明できるものがありません。続報が入り次第、直ぐご連絡致します」


木箱を机上に戻すと、水晶が光を失う。コーンウェルは今度こそ煙草に火をつけた。

それから道化のような耳障りな笑い声をあげた。破裂したかのような大声は、部屋の外に響く。どうせこの建屋には誰もいないのだからと、男はこれ以上ないほどに弛緩しながら長椅子に倒れた。




コーンウェルの瞼の裏に、煙草を賭けて札遊びをした日の事が浮かんだ。


賭け事とはいえ、小遣い程度の額や煙草を賭ける事が多い。あの日も初めはそれから始まった。


コーンウェルは高級な長椅子に我が物顔で腰掛ける男達に札を配りながら、ふとやけに動作がちぐはぐな鉱夫に目を留めた。

小細工を仕込むにしては下手くそで、札を持つ手からして慣れていない。コーンウェルが手を止めたので、自然と全員の目がその男に注がれる。

話を聞くと、賭け事をするつもりはなく、直ぐに帰りたいと白けさせる事を馬鹿正直にいった。青嵐のトトみたいなやつだと思ったが、所属は灰桜だ。


隣の鉱夫が「違うだろ」と全員に聞こえるように言った。どうやらこいつが引っ張ってきたらしい。


「好きな女口説く勇気がねえから、一発当てて、でっけえ指輪買いてぇんだろ」


「ほんとかよ!!」初耳だった男達が騒ぎ立ち、問題の男は顔を真っ赤にして否定を繰り返した。こうなってしまえば相手が誰かなのかという話になる。これほど餌食となる話題もない。

まず娼館の女の名前が叫ばれた。不要な感想も付け足されるものだから小競り合いが起こった。男は必死に口をつぐんでいたが、ついに、霞むほど小さな声で女の名前を口にした。


気立ての良いギンケイ族の女の名前だった。コーンウェルは知らなかったが、何人かの子持ちの鉱夫たちは盛り上がった。

鉱山町の学校の先生、若くて美人、極めつけに胸がでかい。あぁだから知らないのかと頬杖をつく。コーンウェルはその逆が好みだ。ギンケイ族の特徴である濃淡のついた長い髪で、頭頂部は白く、先にいくほど金色。その長い髪を編み込んで丸めている、大変真面目でお淑やかな先生だという。既婚者陣の情報だ。男は幼い妹を迎えに行くたびに、先生と立ち話をする仲らしい。指輪の前にまだ他人じゃねえかと野次られ、「俺はそんなこと言ってねえ! 飯に、誘おうと…!」と自棄になって叫び返した男は口を思い切り曲げて唇をつきだした。子供に戻ったようにへそを曲げている。この状態だとあっちの手ほどきすら怪しいなと余計な心配をする。


女の話をしただけで花が萎れるように小さくなる男に、「お前に必要なのは大金でも指輪でもねえ、勇気だけだ」と既婚の鉱夫が背中を叩いた。

そして清々しい顔で立ち上がると、何を思ったか花瓶から花を引っこ抜き、男に握らせる。クソ野郎じゃねえか、コーンウェルの心の中の呟きは声になったが、誰も気に留めていない。若い男は背中を次々に叩かれながらも、勢いをつけて部屋を飛び出して行った。

男たちは笑い、酒をあおりながら、一人が窓を開けた。


「甘ったるくてかなわねえ」


コーンウェルが瞼を開けると過去は消え去った。あれからずっと空のままになった花瓶がある棚の方に顔を向けると、一人の女と目が合った。コーンウェルは驚きに大きく目を見開き、体を起こす。

花の匂いがした。花の匂いをまとう女は、最初から部屋にいたかのように穏やかに笑うと、口を開いた。






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