308 肉料理:----・------(100)
「いや……いや、自分が他人からどう見えているかという事は、それこそ他人から言われないとわからないものだと改めて思っていたのだ。自己認識との乖離、とまでは言わないが……私達はひとつづきの波だったと腑に落ちたのだ」
「……?」
「そう怖い顔をするな。こう思っている。デクランが心酔していたのは私ではない。医術でも神でもない。兄弟を語るお前を見ていてわかった。お前達にはつなぐ定めのようなものがある。デクランを支えていたのは私ではなく」
「閣下!」
「……」
「やめてください、それ以上……やめてください」
「…………そうだな」
「あれこれと想像することしかできないのだな、もう……」と、深い哀惜を示したシュナフの囁きに、瞳をきつく閉じて息を止めたコーンウェルは何も聞こえない振りをして躱した。憚ってくれとも、慮ってくれとも思わない。これは二人によって交わされる言葉だが、大きな独り言でもある。互いの内側で思うことなど真に気遣うことなどできないのだから、懇願も意味はない。同じ男と関わりのあった者として、思いを吐露する最後の相手に選び・選ばれただけのことなのだ。
独り言――そう何度も何度も言い聞かせる。慰め合ってしまえば生々しい苦しさがどうしたって生まれる。今でもどこかに居るんじゃないか、人垣の向こうで話しこんでいないかとデクランの姿を探してしまう。自分のことだけ考えて偏執に没頭していいというのなら、泣き喚いて室内から全員追い出してしまいたい。暴力もなけなしの理力もすべて使って。けれど、そんな事になんの意味もない。果てにあるものを堰き止めてこそ、"人"だ。人の形を保っていなければと強く思う。理由などない。なくていい。
長話に耐えかね、集団の中でちらほらと立つ者が現れる。歴然と残っていた血の臭いは潮風に絡めとられて外へ流れ出ていったようだった。それと同じように、二人の運命もまた室内を出れば交わることはない。シュナフはコーンウェルを見送る。親友に向かって歩む背を、見納めに眺める。妨害石の追及を己の手で遂げたかったと、詮無きことを思う自分を笑う。人には役目柄というものがあるのだ。
コーンウェルが骸のそばに近寄ると、台を挟んで向こうにいる男達が、ひょっとして何かをしでかすつもりではないかと立ち去るように目線でいう。コーンウェルから言わせれば、彼らの方こそ関係がないのにそこにあることが不快だった。こんな場所に放置されているデクランだけが、ひっそりと出迎えてくれているような気がした。無論それは願望であり、懇願であることもわかっている。デクランの体こそ世を拒み、冷ややかにそこにある。
熱の失われた体に額をつけて最後の別れを告げる。涙を見られまいと顔を埋める男の頭上に、舌打ちや罵倒が降っても、眉を顰めるには及ばぬことだとシュナフは思っている。あざける声が大きく聴こえても、いろいろの声は二人の深奥までは辿り着けない。
「大主教様」
横から小声が掛かった。働き手のエトマンがリップに支えられながら立っていた。
「クレヴィアの容態は」
「意識はあります。受け答えもできますが、まだ少し茫然としています。眼球と口腔の洗浄は無事済みましたので、宿舎に連れ帰ってもらうようにお願いしましたが……」
「本人は残りたいと?」
「はい。今はオランドに付き添ってもらっています。あの、閣下……」
「構わん。そばへ」
エトマンは両手を胸の前で重ねて何かを封じ込めている。歩く姿に重い疲労が見えるが、彼女は息を整えたあと皿を合わせた手を力強く差しだした。
掌におさまっていたのは極彩色に輝く貝殻だった。
デクランは言っていた。―――『朝方に波によって運ばれてくる七色貝は、魂が新生する際に生じた喜びが、こぼれて固まったものだと云われています。身に着けていると幸福が続くとも。だからあなた達の顔が浮かんだ。みんなに渡さなくてはと思ったのです』
「……七色貝か。覚えていてくれたのだな」
「はい。先生のお召し物にございました。浜辺で手ずから集めて下さったお話を……おもい、だして、そ、そのままにしては、だめだと思って……」
「そうか……気遣い感謝する」
口元がわなわなとうごめき波打った。瞬きを過敏にして、エトマンはシュナフの視線から逃れようと急いで俯いた。
「……デクランは手術が終われば分け与えるつもりだったのだろう。いつものように極めて細かなことまで辿る目で、お前たちの手捌きを褒め、不十分なものは指摘した筈だ……この貝は、苦しみや痛みの記憶の起点となってしまうかも知れない。だがもしも、それでも構わないという者がいたら、渡してあげてくれないだろうか。もしも拒んでも責めはしない」




