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リリィ 思いつくままに書きとめたささやかな覚書と一切の崩壊。無力な愛、ひとつの不幸、ただ愛を愛とだけ欲したある価値の概念  作者: 夜行(やこう)


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307 肉料理:----・------(99)

少し間をおいてからシュナフはデクランの方へ顔を向けた。


貴賓を出迎えるための豪勢な応接間は多くの聖職者たちが行き交って一つの小世界を構成していた。高位者が腰かけた革張りの椅子は隅に追いやられ、密談を聴いていた長机は厚手の布を掛けられて治療台に変わっている。壁を彩る装飾布にヴァンダールの紋章が残るが、権威も畏怖も最早さほども感じなくなっている。今や室内の中心は二つの骸であり、数多の双眸はたった一人の男に注がれている。


骸を取り囲む輪の中には自領の今後を憂う者、他領に恨みを募らせる者、憎悪が自己増殖し他責に結びつく者、悲しみ嘆く者などの様々な声があるが、ひとしなみ声色を落とし、一時的な平穏を維持しようとしていた。彼らは何も今すぐに殺し合いをしたい訳ではない。しるべを失い、一様に救いを求めているだけなのだ。さらにいえば、明日広場の一角に立てられる高札に、龍下逝去の報か又は龍下殺害の報か、どちらを触れ役に仰々しく読み上げさせるかを考えているのだ。


働き手たちは床に散った器具を拾い上げ、受血装置や透視鏡を片付けている。大きく首を折った鋲付きの鞄に器具を収納し、投光照明の火を消す。器具を消毒している女の元に、年若い女が駆け寄る。一方が首をよじって耳打ちを聞くと、手に握り込んだ何かを見て二人は同時にこちらを向いた。シュナフはその視線が自分に有る事に気づいたが、近づいてくる気配がないため声を掛けなかった。彼女たちは顎をぐいっと引き締めて作業に戻った。何事か真意は測りかねた。

不帰の客となったデクランはコーンウェルにとってかけがえのない友であったが、彼女達にとっては師であり先導者であり、想いを寄せ合うひとときもあったのかも知れない。コーンウェルの胸中に答えの無い問いかけが生じる。


「デクランは私の潜在的な柔軟性を引き出してくれた。窮屈な生き方しかできない私をよく諫めてくれた。自分の方が余程窮屈な生き方をしているのに、人に尽くしてばかりの弟だった。廊下を出て左へ、そこから先は腰に紫紺の帯を巻いた者が先導する。言葉を交わすな。できうるなら邸を出る前にお前の帯も解いてくれ」

「……」


目探っても紫紺の帯は見つけられない。シュナフはまだ多くに背を向けたまま口を隠している。


「……無理を通す。すまない……私も今日限り兄を棄てよう」

「それは出来ませんよ」


シュナフの方は見なかった。頭の中にデクランの顔が浮かんでいた。

たまの休み、肘枕をしながら気楽に本を読み、黙ったと思うと大主教の教務量を減らした方がいいとか、身を起こしたと思えばつかつかと鞄を手に取り、仕事が残っているからと夜中に飛び出して行こうとする。その時は本気で休むことの重要さを説いた。


憑りつかれたような奇行を随分見たように思う。元より一つの事に熱中する気質のため、陽があるうちは好きにさせ、暗くなると腕を引いて帰る役目を負っていた。幼少期の話ではない。つい最近までそういう事をしていたのだ。研究に従事するようになって更に増えた奇行に驚きがなかったといえば嘘だが、無益に時間を消費する怖さが不意に勝り、居ても立ってもいられなくなるのだろう。先導者ゆえに自分の行いひとつで医術の道を絶えさせてしまうという恐怖が心の隅にあって、時折負けてしまう。

孤独、心慌、焦燥は生まれ続けるだけで減らすことはできない。だから頭を動かしていようと異常に長く働きたがっていた。恐怖を和らげてやるためにもっと力になる事ができたのかも知れない。けれど同じように、孤独や焦り、教務や生活がコーンウェルにもあった。ただ一人使命に敢然と立ち向かうデクランを見送る寂しさに、無論だれひとり手を差し伸べてくれるものはなかった。紛れもなく痛みを感じていたが、もしかしたらいつか……


下唇の内側を歯列で挟み込み、寸でのところで心に浮かびかけた想いを噛み殺す。自覚したくなかった。もう相手は死んだ。今更そこに漂わし始めたものに名前をつけるわけにはいかなかった。今はデクランの骸から押し寄せる過去の残響をただ受け流すだけに努める。そして"兄"を棄てるなどと莫迦なことを口にした男の性根を叩き直すことにも集中する。何故ならばそれはデクランへの侮辱だと思えたからだ。


「デクランはどれだけの不利益が生じようと何もかも無視しようと努めていた。教務と医術を両立させていた熱意は、貴方への敬意と心酔を物語っていました。兄弟であることがデクランの支えだった。剣を握ろうと、金を抱こうと、死ねば何も持ってはいけない。けれどデクランはきっと縁を抱いていった。それだけは棄てようにも棄てられず魂に結ばれたものだからです……別に驚くことでもないのでしょう? わかっている顔をしていますね」






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