305 肉料理:----・------(97)
「各領地の主を帰領させる前に緊急議会の招集が掛かる。私はその場で辞任を申し出るつもりでいる。私がそうしなくとも解任の手続きは取られるだろう。その前に多くの事を決め、できる限り平明な道筋を示しておかねばならない。龍下とヴァンダールの行いはまことにおぞましいものであったが、龍下の功績に限って言えば彼の行いは間違いなく文明を作り上げたといえる。アクエレイルの教徒らは私がこの部屋から出れば、拘束して牢に入れるつもりでいる。確かに私は龍下とデクランの命が交差する領域に立ち、誰よりも地位があり、理力があり、犯行に及んだグレゴリーの行動をあずかり知らねばならなかった。それを怠ったがゆえに彼を失った。私にとっての家族を、お前にとっての友を。国民にとっては父を。人々の悲しみが転位して憎悪となって私に降り注ごうとも、受け入れるつもりでいる」
髪の毛が逆立つような気がした。最初は驚いていただけのコーンウェルは白一色だった顔に烈火のごとく猛る感情を赤くのぼらせる。潰されて疲労した頭に怒りの中の青い冷気を叩き込む。デクランの友としてではなく、シュナフ領の市民として大主教に直言する為に。
「まったくもって同意できません。貴方が正気とも思えません。他者の功績をお認めになるのに、ご自身の評価を考慮しないのは何故です。死という旗を振れば、誰しも容易に善性の上に君臨することができます。貴方を表舞台から追放して、そんな事で何が結実するというのです。貴方を痛罵し、責任を問う者たちはその後の責任を取ることはありません。貴方に憎しみをぶつける事のみを目的としているのです。それをよしとして次の大主教、貴方を信頼する市民に尻拭いをさせるおつもりですか。それでも貴方が人の卑しいばかりの憎しみを鎮めるために進んで牢に入るとおっしゃるなら、多大な二次被害を生む前に、貴方の口から起きた事を正しく教徒たちに告げて下さい。権威を否定しようとする者に否定で返さず、正確さをもって返して下さい。それが大主教たる貴方の義務です」
「……監査部らしい良い言葉だ。規律は理性の上でのみ成り立つ、しかしその更に下には無私の優しさがあると私は思っている」
「……閣下、貴方だけの優しさで自分を罰しようとしないでください。ご自身を加虐側に置こうとしないでください。貴方の視座はもっと高い場所にあったはず」
「大きく事は動いてしまった。領地間の闘争となることは避けたい。理解してくれ」
「貴方が理解してください。貴方の職位は情感で左右されるものではなく、規律の上で確立されたものです。他領が信任に介入することはできません。デクランなら愚かだと言うでしょう」
「私が責任を取れば、いくらか憎悪の尾を断てる。余計な被害を被り、シュナフスが瓦解するようなことがあってはならない。私は目の前で二人を喪い、禁忌とされる医術を研究していた。その二点は白に塗りつぶすことはできない黒い事実だ。私の社会的功績は一切顧慮されるべきではない。また擁護者が出て積極的な働きかけをすれば、一斉に医術研究は批判され、議論は集中するだろう。無知蒙昧に起因する恐怖は、妨害石によって龍下に理術が効かなかったことなど考慮せず、何より医術自体を徹底的に封じようとするだろう。議論を長引かせれば、医術の進歩が遅れ、その分損失が生まれる。医術は本来禁忌などではない、いつか必ず実現させなければならないものだ。だとすれば、法規制を廃止し、有効性について問える状況を作らねばならない。しかし私が今度なんど重要性を説こうと説得性がないのだ。さらなる進歩のためには、私と言う病原は取り去った方が早い」
互いの間を目まぐるしく流れていくものがある。目に見えず掴むこともできない時流だ。シュナフは今更考えを変えることはなく、コーンウェルも切望していたわけではない。側近でもなんでもなく、職務を共にしたこともないのだ。そっくり心を読み取ることはできない。デクランならば、できただろうか。どうしてここにいないのかと腹立たしさから、腹にしまわれた包みを握り込む。
「これをどうせよというのです」
「隠し通してくれ、誰にも奪わせるな」
「ただの短剣ではないのですか」
「ない。刀身の中央に石が三つ埋め込まれている。その石が理力を妨害し、拒絶している。デクランの命を奪った元凶といえばわかるな。そんなものが存在するとは思いもよらなかった。これは人殺しの石だ。龍下の腹部にも同じ石が埋め込まれていたがそれはグレゴリーが持ち去った。たった一つ残された証拠。それがその短剣だ」
「な………そんな物ならば閣下の潔白を示す為にも必要なはずです。私に死守せよと、そういう事なら人選が」
「いいや、私はこう考えている。龍下は今日ここで死なねばならなかった。理力があればおおよその負傷は治療できるが、この石は劇的な死を演出した。広間で多くの者が死の証人となって龍下を見送るはずだった。その筋書きが狂う問題が起こった」




