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リリィ 思いつくままに書きとめたささやかな覚書と一切の崩壊。無力な愛、ひとつの不幸、ただ愛を愛とだけ欲したある価値の概念  作者: 夜行(やこう)


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301 肉料理:----・------(93)

多くの者を死に至らしめた疫病はヴァンダールの地を襲い、獣より優れた殺人種としての地位を次第次第に獲得して内陸部に進行していった。

疫病はひとつの家に長く留まり、人から人へ病をうつし侵し尽くす。一家全員が息を引き取るとまた次の骸をつくるため、やっと静まり返り、何もなかったかのように忽然と姿を消す。


治療にあたっていた教職者は、生きる望みのある人々の治療と隔離で奔走しており、死者と向き合っている時間はなかった。家屋の壁には罹患者の有無を知らせる目印が大きく描かれ、印のついた家には誰も近寄ろうとしない。通りには骸が放り出さるが、墓掘り師が不足しているため、荷車はいつまで経ってもやってこない。祈りも埋葬もされず長く放置された骸には蛆と蠅がたかり、都市の血脈である道は地獄の川の様相を呈した。


男はマッケナ家の者として、そして教職者としてヴァンダールの疫病蔓延を知ると単身ヴァンダールへと向かったが、当然市壁の前で門前払いを受けた。市壁の外には避難民たちの集落ができあがり、新しい街ができあがりつつあった。男は人より二倍大きな背と屈強な体を持っていたので、仕事はないかと頼み込み、墓地の造成に携わることになった。それは墓地とは名ばかりの骸を投棄する穴である。ひとつの穴で千五百の骸を飲み込み、隣に別の穴を掘って骸を埋葬することを続けていた。男は陽がのぼっている間は穴掘りに従事し、夜は骸の投棄に手を貸していた。


アクエレイルやシュナフから来た商品や人を検疫して幾らか市内に通しているようだったが、その逆は極端に少ない。深夜に出てくる荷車と、うずたかく積まれた骸はいつしかヴァンダール全市民を運び終えるのではないかと思えるほどに多い。感染予防の為に焼かれて真っ黒になった骸は穴に放り込むと簡単に崩れ、先に投じた骸に抱かれて眠りにつく。煤で真っ黒になった荷車はまた市内に戻っていく。


葬送の儀式も満足にできないままいくつの魂を見送っただろうか。あるいは魂はまだ市内に縛られているだろうか。画期的な予防策も見出せぬまま、死者を見送り続けることほど教職者を苦しめることはない。市外の集落には疫病は出回っていなかったが、強い死臭がつきまとっていた。誰もが鬱屈し、太陽を嫌い、明日を嫌い、生きることを嫌い始めていることを肌で感じていた。


深夜。骸が放り込まれる"投棄"の音が絶えず聴こえる。男は避難民や他領から駆け付けた救護者たちに篝火の番を任せ、墓地に足を向ける。

最近真夜中になると墓地に若者が集まり、穴の周囲でひと踊りすることが増えていた。苦しみと痛みで逼迫した日常から何とか抜け出したいという気持ちと、死者を悼み、この世を恨む気持ちが、生者との舞踊に集積していることは明らかだった。


蝋燭の灯だけを頼りにした悲しい舞踊が見えてくる。男女種族様々な人々が踊り狂っている。それを愚かなことであると罰することなどできない。彼らは笑いながら大泣きしているのだ。生きるとはまるで風のように捉えられず、束の間の事であると、長衣を風に流しながら木靴をかき鳴らして泣いている。それを止めることも慰めてやることもできない。

死の舞踏にふける人々を横目に市壁をなぞるように歩くと、壁に身を預けてうずくまっている影を見つけた。微動せず、服が白く反射していたため、夜行性の獣かと思われた。が、それは人だった。細い体を二つに折りこんで、膝に頭を擦りつけている男。手前に頭巾が落ちている。白い頭巾は治癒者の証であるが、土に投げ出されている手は彼自身が罹患者であると示していた。祭服の下の体は既に腐敗が広がり、じゅくじゅくと皮膚が分離しているのだろう。その人はわざと立てた足音に気づいて、微かに頭をもたげた。まだ息がある。


「……もし、そこのお方」喉を通る音すら、痛みを得るような声がする。

「私はシュナフスから来た教職に就く者だ。動かずともいい。今、術をかける」

「そうか、同胞よ……嬉しいが不要だ……近づかないで、くれ、ないか………」


それよりも、と腹の下から差し出した男の手に麻の紐が握られていた。見れば己の腰に二重に巻きつけ、結び目の先は穴の中に続いている。

穴を覗き込むと、後ろ足を曲げたまま骸の寝台の上に横たわる体に、同じように紐が括りつけられているのが見えた。ここまで引きずって運んできたのだろう。地獄を一望した顔を戻し、男に無事埋葬できていることを告げると、彼は吐息まじりに「そうか」と頷いた。

次いで紐をこちらに投げて寄越した。腰と骸につながれたままの紐は少したゆんで、半円を描いて足元に落ちる。「どうしろと」言うのだと問いかけようとする前に、男は懐から取り出した短剣で自分の喉を引き裂いた。躊躇いも、問答も必要としていない。血を噴き出し、泡を溜めた口が「たのむ」と言ったような気がした。男の足は既に使い物にならなくなっている。もう一歩も歩くことも這うこともできない。だから代わりに落としてくれというのだ。






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