30 禁忌と、
上流とは寸断された坑道の奥―――いや、最早地理的に知った場所ではないのだろうとレヴは角灯をもった腕を伸ばし、数歩先の暗闇を照らした。
川底深くを潜る自然洞窟だろうか、少なくとも第八坑道の底が抜けた先ではある。皮肉にも見上げる壁には灰色を帯びた緻密な鉱層があり、相当な生産量が期待できた。生きている内にぶち当てたかった光景だ、レヴは鼻で笑う。まだそんな気力があった。
瓦礫と共に落下したというのに、頑丈な体は多少のことでは怪我を負わない。初めて自分の種族に感謝した。そして他種族について考えた。自分と一緒に落ちた男は重体だった。
周囲は灯りもなく、成人してる男が立てる高さがあるが、前後どん詰まりの密室だった。当然どこかの坑道に繋がっているわけでもなく、生存を知らせようと槌で叩いたが、その音が誰かに届いたと祈るほかなかった。
鉱夫であるということ、そして自然を相手にしているということはこういう事だ。いずれにせよ、槌しか持たない身では、救助を期待するしかない。
来た道を引き返すと、薄ぼんやりした灯りがレイクの足を、腹を、顔を照らしだした。
瓦礫に背を預け横たわっていたレイクは灯りに顔を顰め、そのあとすぐに舌でべろりと唇を湿らせた。起き上がろうとしてるのかとレヴは駆け寄る。無駄な体力を使うなと胸の前に手を出すが、レイクは口を突き出しただけだった。
腹に力をいれて、しかし何かに失敗して「ぐッ」と体全体を硬直させた。こいつ、禁忌である口笛を吹こうとしたのだ、レヴは腹から息を吐いた。
「くだらねえ」
「あ゛ーーいって……、いいじゃないです、か……はぁ……こういう時じゃないと吹けないですよ…」
どうして口笛を吹いちゃならねえのか、初めて聞かれた日から一度も答えていない。一生口にする気はなかった。鉱山の男には験担ぎがいくつかある。その由来まで馬鹿正直に質問してくるレイクに飽き飽きしていた。口より手を動かせと何度言ったかわからない。
「やっちゃならねえこと……同性のものを……合わせる、とか……そういうの今ならやっても……あー、俺の、槌……どこ?」
「ここだ、ほら」
握らせてやっても、レイクの手から滑り落ちる。レヴは、レイクの手ごと掴んで槌を固定する。レイクはぬるついた血の感覚にか、はたまた何かわからないものに「は」と笑ってまた痛みに顔を歪めた。
二人は見る間に沈黙に沈んだ。必ずしも苦痛だからというわけではない。
レイクはまだ笑っていた。ほとんど空気だけを吐いて、時折痛みに体を痙攣させながら、それすら面白いと笑った。
ろくな人生を送ってこなかった、だからこういう最期は承知していた。それが突然訪れただけに過ぎない。
この馬鹿の顔を見ながら、地の底で果てるのは全く愉快なことだとレヴも笑った。さっきまで頭の中に散々渦巻いていた何もかもが蒸発したのを感じて、ふと力が抜ける。
「はぁ………空気は心配なさそうだな。運よく風が吹いてやがる」
「じゃあ好きなだけ吸っても…いい、ごほっ、………うー、……ふざけてる……」
血が目に入る前に瞼を拭ってやるとギョロリと目が天を仰ぎ、虚ろになって、閉じられた。
「……腹みるぞ」
「動かさなきゃ……いたくねえ……ぐっ、押さ、おっ、い!」
暴れる手首を膝で抑え付けながら、腹に巻いた止血の布を乱す。
最初に巻いた手拭いは赤く染まり、その上に巻いた布切れにも浸潤し始めていた。
出血部位をどれだけ抑えても、もうどうにもならない。
レヴは角灯の火に突っ込んでいた鑿を引き抜いた。
高温とはいえないが、止血くらいには役に立つ。傷を塞がなけりゃあ、救助がくる前に失血で死ぬ。なら、俺がやれることは、どんなことでもやらなきゃならねえ。
レイクを見ると、やつもまたこれから何をされるか理解してる目をしていた。
「舌噛むなよ。いいか」
「聞かないで……!」
レイクが息をのんだのを確認してから、熱した鑿を傷口に押し付けた。
獣の唸りのような絶叫が洞穴のあらゆる壁と岩に反響して溢れた。
気の毒なんて思わない。まだ生きてる。まだ命がある。
レヴは何度も鑿を火にくべ、時間を置いてレイクの肌を焼いた。何度か繰り返し、気絶したレイクはしばらくしてから凪いだ目でレヴを呼んだ。
「………レヴさん、怪我は…」
「……どこも」
「は、さすがクサビは……頑丈……すね…」
「てめぇも悪運はある」
「そうかも……」
唾液を飲み下し、レイクは喉を鳴らした。傷が引き攣るといいながら何度か笑った。
それから吐き気がすると言って、血を吐いた。咄嗟に横にして口に溜まった血を吐かせると、レイクは顔を歪めた。とめどなく溢れる涙が、レイクの頭を支える手に掛かった。
「……へんだ………俺のあたま…………あたま……! あっ、ああ……やだ、いやだ! あああ!」
耳の下に手を入れて、頭ごと抑えていなければレイクは狂っていたかも知れない。レヴは何度も刷り込むように「大丈夫」と繰り返すことしかできなかった。
涙が真横に流れる。両角の折れたウリアル族の慟哭が、がらんどうの洞穴を埋め尽くした。




