03 慰めと、
「……質問をされる。君が使っている香水、洗髪剤」
「洗髪剤!」
ハッ、とリーリートは声をあげて笑った。
彼女は顔の前――シャルルの脚の付け根辺りを笑いながら叩いた。手を絡めとって止めるが、彼女はそれでも吐息をこぼしながら、体をくの字に曲げて笑い続けた。
「ふ、はは、あは、……なんてこった。ここは国立のご立派な研究所だっていうのに。君は、なんとも、気の毒だね。ふふ。それで? 答えてあげるの?」
「馬鹿な事を。断るさ。倫理観が著しく欠けている者に対してはそれなりの対応もしている」
「君の業務外だ、捨て置いていい。でも感謝するよ。私に関する情報なんて総じて開示してくれて構わないと思っているが、君が拒むならそれが正しいんだろう」
「引き続き一任してくれ」
「私の事は君に任せるよ、これからも」
肩をすくめたシャルルをリーリートが真似る。横になっているからただ跳ねたような動きだったが、のびやかに笑う姿に見惚れる。
ひとしきり笑った彼女は空いた手で自分の髪をひと房とると、親指で毛先を平たく押し広げた。彼女の眼差しにあった穏やかさが押し流され、熱が失われていく。
シャルルは数秒前の自分を呪った。この手の話題は彼女の中の未だ消えないしこりに終着するとわかっていたのに。
「中身を知れば容易く破裂する幻想だね。そんなものに弄ばれて可哀想だ。私は煩わしさが服を着ているだけの人間なのに」
こういった卑下を何度聴いた事か。だからシャルルは誠実に愛を伝える。
「面倒さも愛しく思うものだ」
ほう、とリーリートはシャルルを見上げ目を細めた。
射貫くような視線はシャルルを離さない。思惑通り、彼女の瞳に再度熱が宿るのを見た。
彼女は髪を手放すと、上機嫌にシャルルの体に触れていく。腕、首筋、顎。
唇の皺を味わう指に噛みついてやりたくなる衝動を抑える。それすら楽しんでいる彼女は骨ばった手を取ると自分の頬に乗せた。そのままくるりと上を向く。
必然、手のひらに柔い唇が触れていた。ふるりと潰れるのがわかるほど密着している。燃えるような吐息の真ん中に有るものが蠢くのを感じた時には、自分の口も薄く開いていた。
どちらともなく零れた吐息が思考を鈍らせていく。指の隙間から見える彼女の瞳が、シャルルだけを見つめていた。
「ね、それでお話は?」
「……………………」
「ふふ、すごい顔だね。意地悪をしたかな?」
「わかってるなら控えてくれ」
「喜んでいる癖に、うわっ」
リーリートの顔全体に影がかかった時には咄嗟に仰け反っても手遅れだった。
背中に差しこまれた大きな手のひらに押されて、あっという間にリーリートの上半身が浮きあがった。重さに引っ張られて自然と頭が後ろに流れ、晒した首筋に男の顔が近づいたことに遅れて気づく。触れた柔さに「ッ」色のついた声がまろび出た。生々しい音が飛び出たことに驚いていると、柔い髪が顎に触れて口に含んでしまいそうになった。くすぐったい。
(捕食されそうだ)
―――意識してしまえばこくりと喉が震えてしまう。
翻弄されると悔しさを感じてしまうのは負けず嫌いだからだろうか。背中に宛てられている手の大きさと硬さに、性差を突き付けられる。それでなくとも長い尾を持つ頑強な種族の男だ。首を噛みきることも、尾で絞め殺す事も容易くできる、そんな男がありったけの弱さで抱きしめてくれていることにリーリートは気づかない訳はない。
いじらしいなとリーリートは体位に似つかない分析をする。男の後頭部を抑え、指先を滑り込ませると同じ洗髪剤を使っている癖にいやに指通りが良かった。やはり悔しい。自分のものは荒れ放題なのにと愚痴がよぎり、自嘲で洗い流す。手入れを避けるのは自分で、どちらかといえば干ばつの野の如く荒廃してほしいと願っているのだから、むしろ望んだ結果であるというのに。
目の前の男のせいで制御できない感情に流されてしまう。捕食されていることすら喜びを感じている自分にリーリートは笑った。
(どうかその鋭い歯で肌膚を食い破って)
願いが耳に届いたのかシャルルは体を離した。首筋から熱が去り、濡れた感覚だけが残る。リーリートは赤い舌が巣穴の暗がりに引っ込んでいくのを見た。
乱れた前髪の向こうで濡れぼそった瞳がリーリートを呼んでいた。
「……昔話でもいいか」
「……………………」
「すごい顔だな。意地が悪かったか?」
喜んでいた癖に――意趣返しに舌打ちをしそうになる。けれど文句はいえなかった。今日許されている距離は充分踏み越えたのだからリーリートは頷く。シャルルが安堵したような気がして見ないふりをした。やはり制御できないな、リーリートは瞼を閉じたが手のひらが強く握り返されたことで互いの手が繋がっていることに気づいた。
いつの間にか深く絡み合わせていた指先が手の甲を器用に撫でる。慰められている、そう感じながらリーリートは微笑んで見せた。