290 肉料理:----・------(82)
「龍下は亡くなり、麾下の者が著しい過失を犯したとあれば、シュナフ様の既得権剥奪は免れない。ヴァンダールは言わずもがな。これで三つの頭がすげ代わることになるでしょう」
「どうしてそんな風に簡単に言ってしまえるの……私たちは人を救う方法をいっぱい学んできたのに、なぜ傷つけるの」
「私が答えると思っているのですか」
「あなたが私の友達だから」
彼は一瞬間の抜けた顔をした。その後穏やかに笑みを見せる。
「……簡単な事ですよ。これは"報い"なのです」
「なんの?」
「犯した罪の」
「デクラン様になんの罪があるっていうの? あの方は私たちの……あなたの大切な人じゃない」
「それは言いません。ねぇ、エトマン。そんな風に思い悩まないでください。これまではシュナフ様やデクラン様に用意してもらっていた道を安全に歩んでいましたが、これからは自分で道を誂えていく、ただそれだけです。道しるべがないと怖いですか? 甘い蜜を吸い過ぎて、地べたに寝るような生活に戻ることが怖いでしょうか。それとも、医術の道は彼らがいなければ立ち行かないと思っていますか? 心配しなくても、同じように禁忌に魅かれる無謀な者は現れます。医術はいつか正道を征くでしょう」
エトマンは歪む顔を両手で覆い隠し、奥歯を擦り潰した。心から何かが流れ落ちていく。その何かは形がなく、名前も知らぬものだった。
「よくわかった。あなたが何もわかってないことがよくわかった……」
「そうかも知れません。私をどう解釈するかはご自由に。狂気、復讐、錯誤、嫉妬、享楽、好きなもので塗りたくってください」
「……」
エトマンは男の講釈が続くほどに冷静になっていく自分を感じた。
大切な人が傷つき、死の旅路に就こうとしている。その現状に男は何の苦痛も感じていないことがわかる。エトマンは今すぐに大声をあげてデクランに飛びつきたかった。自分のできる限りのことをするからどうかいかないでと呼び止めたかった。
けれど彼は己の最後の道を決めた。だからもう、妨げる事はできない。
グレゴリーの講釈が始まる前、大主教はデクランを受け止めるとすぐに倒れた台座を引き起こした。床に残された龍下の体は、台座の上に掛けていた白布が被さり、白い山から火掻き棒だけが突出している。
大主教の動きは大きく乱れ、焦りが表に出ていた。短剣突き刺さる体を横たえ、処置に及ぼうとしても様々な事を考えて、それが何一つ行動に結びつかない。ひとつの物事が完了する前に別の準備も始める有様で、手伝おうとした男とぶつかり、気づまりな顔を見せる。視野を得る為デクランの衣服を引き裂くも、残酷な光景に青褪めて立ち尽くした。もし手術をしても必要な血液は足りない。外に援けを求める間に彼はもう――――
シュナフの術着が微かに引き寄せられる。彼が呼んでいる――何も考えている暇はないとシュナフは悟った。紫色の唇をしたデクランが、潤いの無い声で「ちっとも痛くないですよ」と言った。
「ね……ちっとも痛くありませんから……このままでいいですよ……」
「いいわけがあるか」
ぼたぼたと涙が零れてどうにもならない。すすり泣きを聴いてデクランの目は美しくしなった。衣服をもう一度引っ張り、彼をたぐり寄せる。
全員でデクラン・マッケナという偉大な人の最期を見送る。けれどグレゴリーはその輪に入らない。彼は上滑りするくだらない言葉ばかり連ねて、自分の情感を描き出そうとしない。
エトマンは床に就く前に詩を書く習慣があった。一日に感じたことを拙いなりに、書き留めておく他愛ない決め事だ。今日一日なにがあったかと思い浮かべると、月並みな仕草や出来事が心の中にきらきらして残っていることを知る。隠れて修学をする日々、頭を寄せ合って教本をみながら語り合ったこと、開腹の始まりから閉腹にいたるまで夜遅くまでデクランに問いただしたこと、たとえこの道が日の当たるものではなかったとしても、命が失われるよりはいい。他の何よりもその気持ちを共有していた。グレゴリーもそうだ。そうだと思っていた。励まし合ったことも、労ったこともある。彼の中には悪意の一つもないと感じていた。彼との日々がすべて崩れ落ちていく。
グレゴリーは彼女の瞳から熱が失われるのを見た。
「真実が必要だと言うなら、差し上げます」
そう言うと、彼は栗毛の獣耳を掴んだ。自分の頭に乗る三角の耳を。
付け根までしっかりと握った掌は髪の毛の中に少し沈む。頭部に両手をあてた姿は、頭を抱えて絶望する男のようだったが、その目は感情の揺らぎが何もない冷たい色をしていた。




