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リリィ 思いつくままに書きとめたささやかな覚書と一切の崩壊。無力な愛、ひとつの不幸、ただ愛を愛とだけ欲したある価値の概念  作者: 夜行(やこう)


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29 心が急く者と、

鉱山は人の出入が激しい。僅か数節の期間でも四百を越える労働者が入れ替わり立ち代わり、地下に潜った。


シュナフ領西部、マーニュ川沿いのトーリン・シュナフ鉱山は川崖のへりにある特殊な鉱山だった。

国内で二番目に操業が若いが、生産高は国内一であるホルミス領の鉱山に迫る規模だ。地下で採掘に携わるのは健康な若い男に限定されるが、採掘した原鉱の泥を洗い落とし、岩石を取り除く選鉱場では、手選を行うのは女たちの仕事で、なかには子供も従事していた。石壁の武骨な建物から黒煙があがり、木製の櫓から伸びた綱が立坑の中に続いている。


鉱石の輸送には馬車と、アクエレイルや海港都市へは水路が利用され、多少の販売機能を持つ通称基地が港に整備されている。鉱山を中心に形成された集落は最早ひとつの町と変わらない大きさとなり、経営しているオルセン商会は向かう所敵なしという名の売れ方をしている。

その恩恵は従業員たちに金貨として配布され、町は潤いを見せている。しかし鉱山は休みなど無く、最初期から現場責任者の任に就いているボイエスにとっては、汗水垂らして働くだけで一日が過ぎ、酒代や工具の追加発注などにつぎ込むくらいしか使い道がなかった。女でもいれば良かったが、女の手を握るより鉱石を握ってる方が性に合った。


轟音――そして足元がふるえ動く。


ボイエスはすぐに原鉱をくみ上げる螺旋状の鉱石機械を停止させ、選鉱をしている女子供に避難するように指示を出した。その足で連絡室に向かうと、道中で頓狂な声を出す爺とぶつかる。

爺は元堀子で、引退しても山の仕事から離れられねえと連絡室で勝手に仕事を始めた頑固爺だった。石を触ればどんな石か一発でわかると、ことあるごとにくだを巻く。そんな石のことしか頭にねえ爺が息も絶え絶え、「赤だ! 落盤だ!」と言った。地下で緊急事態があった時、危険を知らせる赤い鉱石の光が、連絡室の窓を染めているのが見えた。


ボイエスが坑道の入り口前に到着すると、既に脱出してきた鉱夫たちが塊を作って点呼をとっていた。無事だ。無事でいる。頭の中でしていた怖ろしい想像が和らいだ。何人かは座り込んでいたが、頭と体が無事に戻ってきたなら、それだけで幸運だった。生き残りさえすれば人生どうとでもしてやれる。

鉱夫たちの顔を見ると、そいつらの嫁やガキの顔が浮かんだ。早く安心させてやりたい一心で号令をかけたボイエスに、鉱夫たちが駆け寄った。


「山吹、とき鼠、桝花、全員の無事を確認! 怪我人もなしだ!」


上半身裸の鉱夫たちは、おのおの不安に顔を歪めながら、それでも気丈に立っている。

奥に坑道地図を広げているボイルの角頭が見えた。大股で近づくと、浅黒い拳を震わせる横顔に自己嫌悪の色を見て、努めて冷静に、いつも通りに声をかける。


「ボイル、何番が落ちた」

副責任者のボイルは空脛を握りしめていた手をぱっと離し、蒼白の顔をあげた。手にびっしり、血が付いている。「おい、手当てを」後ろにいた山吹の若い堀子が医者を呼びにいく。ボイルは忌々し気に「構うな」と吐くと、地図に指を置いた。


「第八の奥で追切りの指示を出してた。ここだ」


ボイルの指が――ここまで、と紙を汚しながら滑る。土と血で汚れた指は、まばらに渇いていた。


「手掘りで開削してたとこだな。おい、灰桜と青嵐の点呼はどうした! 長屋のやつらも見て来い! 体調不良が五人出てただろうが!」

「青嵐のやつらはまだだ。灰にもっかい潜ってもらってる」


坑道の入り口から足音が聴こえた。

青嵐のトトが飛び出してきて、そのあとに同じ組の堀子が続く。数が足りない、ボイエスは下唇を噛んだ。


「親方! 親方! 第八の先が崩れて完全に塞がっちまった! 地図を地図を…あぁ、ボイルさん! ボイルさん……! 俺が、あいつら、まだ、生きてんだよォ」

「トト。わかっている、わかっている」


茶色い顔に涙が垂れる。トトは倒れるように地図を掴んだ。

心臓が飛び出るほど荒い息をしながら、汚れた手を押し付けてグッと歯を食いしばる。


「きっ、くそっ…!口がまわりゃしねえ!」顎を強かに殴りつける。トトは涎と血を拭った。

「基幹坑の先、塞がってるのはここだ。でけえ岩と砂でどうしようもねえ。基幹坑には影響がでてねえが、下はまだ揺れてやがる」

「盲坑道はどいつが担当してた」

「レヴとレイクだ」

「わかった。青嵐ほかは全員いんのか」

「いる。いる………あいつらは第四とつなぐ退避路を掘ってる最中だったんだ……! 他は第九の導坑を掘ってた。だからあいつらだけ逃げる場所もねえ……なぁ、最初すげえ音がして、聴いただろ、槌の音どころじゃねえ、頭が割れるくれえの音がしただろ」


トトはボイエスの肩を掴んだまま、周囲の男達の顔を見回した。頷きが返るが、誰も説明する術をもたなかった。


「気化突出じゃねえのか? 検知石はなんともいってなかったんだな! おい、クソ爺!」

「石は緑のままだ! 始めっからなんも反応してねえ!」


連絡室の開けっ放しの扉から爺が首を振る。ボイエスは黙ったまま、とにかく鉱夫をひとりとして見捨てるわけにはいかないと思った。

トトは声を震わせ、脂だらけの歯をむき出しに、もう一度叫んだ。


「お前らも聞いただろ?! なぁ第七も第六も聞こえただろ。すげえでけえ音だ。その時はまだレヴの声もして、退避しろって言ったんだ。そしたらすぐ天盤が落っこちてきやがって……」


今さら理由などどうでもいい。けれど自分の隊の堀子が埋まったのだ、取り乱すなと言う方が人としての道理に欠ける。ボイエスは今にも坑道に引き返そうとするトトを抑える手を考えなくてはならなかった。

情報が欲しい。すると、出入り口から一人の男が飛び出してきた。灰桜の一番若い男だった。男はボイエスに駆け寄る。手は真っ赤に染め、頭から血を流しながら男は叫んだ。


「灰のエドから伝言! 第四横の排気斜坑の底が抜けて、第八の上まで陥没! 地上に通じるでけえ立坑になってます!!」


舌打ちが飛び出た。報告をきいていたボイルの右手が机に叩きつけられる。火薬をもってして爆鑿する手段が封じられたのだ。陥没孔ができてしまえば地盤は一気に貧弱になる。その原因がなんであれ、マーニュ川に隣接している坑道だ、いつ川の水が浸入してくるかわからない。最悪坑道すべてが水の中に沈むだろう。


「親方! 長屋の方も無事確認した!」

「わりぃがもっかい町に行ってくれ! 山吹、とき鼠、集会所に避難してる女子供、桝花は病院に行って、できる限りアクエレイルとシュナフスに送れ。あぶれた奴らは森だ。地盤がいいとこなら陥没しねえ。坑道の上じゃ、町はどこが陥没するかわからん、頭ん中に地盤と坑道思い浮かべてなるべく上を避けろよ! 行け!!」

「ボイエス! ボイエス!」


残りの灰桜の面々、そしてエドが坑道入り口から出てきた。これで地下にいるのは行方の分からねえ二人だけになった。

地図の前でエドと顔を突き合わせる。全員が土埃をおっかぶっていたが、目にはまだ覇気があった。


「陥没孔の底は黒くてなんも見えねえが、不規則な、槌の音がしてる。ひとつだが、生存者がいる」

トトが灰桜を押しのけて前に出た。

「レヴだ! レイクもきっといるにちがいねえ! 助けにいく! 孔をおりりゃいいんだろ!」

「待て!」


助ける――――その一点張りのトトの腕を掴んだ。






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