283 肉料理:----・------(75)
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受血に必要な器具を取り付けた龍下の姿は、拷問刑に処される罪人のようだった。
円柱の硝子瓶から垂れ下がる細い管が、長机で作った間に合わせの寝台に横たわる男と紐帯している。管を通る黒い液体は人の血液ではあるが、機械に挿す潤滑油のように粘性のものに見えた。負傷して元の相貌も濁る龍下の周囲は、シュナフの教職者たちが取り囲んでいる。アクエレイルの教職者たちとの小競り合いを武力によって斥け、ようやく受血を再開したものの治療を取り仕切るシュナフ大主教とデクラン・マッケナ筆頭文官の表情は険しい。
彼らの差配のもと、麾下の男女がおのおの首を真下に折って、忙しなく両手を動かしている。龍下はその間、うめき声ひとつたてなかった。
頭部、眼球、全身の皮膚、胸、四肢と、外傷・火傷・縫合・受血の同時治療の合理性が貫かれるが、全身をみれば誰しも動揺してしまうほどの重傷であった。龍下の心臓がまだ動いていること自体が奇跡であり、瞼や足指、膝などが不随意に痙攣と急停止を繰り返しても、想像を絶する苦痛の反動で脈動していると思われても不思議ではなかった。
大主教が首をよじって、後ろに控えている侍女に新しい湯を桶いっぱいに持ってくるように指示を出した。侍女たちは片時も目を離さずに治療を見守っていたが、震える手を揉みこんでいることに大主教は気づいていた。侍女が飛び出して行くと、毛髪に覆われた皮膚を掴む血だらけの手を見下ろす。龍下の一部だ。
妙な気分だった。自分の手足の感覚が鈍くなっていく。そっくり返った皮膚を引っ張ってみても、方向性を与えられた手は指示通りに動かない。動けと命じているのに、ぬけぬけと嘘をつく手をじっと見つめる。
これまで理力を使用しない治療術を研究し、秘密裏に「手術」と名付けた治療をおこなってきた。しかし"人"の部位を手に持っていると思うと一瞬、理性を失うような気がしたのだ。よく見ると、別の場所にいたデクランが奇妙な具合に気づき手を止めている。何も言わないが、瞳孔に浮かび上がる情感は雪崩を打っていた。
絡む視線を振り払い、細い息を素早く吸って吐く。風鳴りの音が口腔を走った。もう一度頭部に焦点を合わせると、デクランの視線は離れた。
「もうすぐ遮断薬の効果が減退する時間だ。何も感じない内に縫合を終わらせよう。鉗子と糸を」
禁忌であると散々叫ばれて、思うところがある。治療を妨害し、己の理力で龍下を救おうとした同胞達を実力をもって排除しなければならなかった。同じ神と同じ聖典を信じている彼らは、領地が違えどいわば身内だ。ホルミス側の要請もあったとはいえ、シュナフは自身が戸惑っているのを強く感じていた。
(生かし続けておくことに意味はある)
そう割り切っても、内心のひび割れは防ぎきれず直ぐに心が揺らぐ。もしこれが龍下の運命なのだとしたら、禁忌を犯してまで救うことは正しい事ではない。しかし、運命とはなんだ? 本当にそのようなものがあるなら、あの少女の身に起きたことは。
大広間で演じられた悲劇は一時的な決着がついたに過ぎない。龍下が隠していた少女、死と引き換えの理力、そしてあの面影―――何もかも気分が悪かった。噛み切れない苦悩が腹の底を掻き回している。私達はとうの昔に道を間違えていた。叫び声が耳元につきまとう。
「そういえば浜で美しい貝を拾ったんです」
一瞬、みんなの目が眩んだ。冷たく作用していた緊密な空気が「ほらみてください」と無邪気に笑う男によって破壊される。わざわざ革手袋を外して差し出された手には、美しい七色貝がおさまっている。反射的に全員の視線が集約されるが、面々は黙して、無意識に次に見せる反応を他者に委ねる気持ちになった。次の反応ですべてが決まる気もしていたが、男の明瞭すぎる笑顔が戸惑いごとすっぽりと抱いてしまう。
「……しまいなさい」と一応命令口調で言っても、笑顔が益々まろぶだけだった。
それどころか我が筆頭文官は術着の裏から別の貝を取り出した。「みんなに差し上げようと思って拾ってきたのです。シュナフには海がないですから、ずっと見てみたかったのです」
まだ沈黙は守られている。少し意地になっているかも知れない。
「あのっ、海どうでした」
火傷の対処をしていたグレゴリーが抜け駆けをした。彼はデクランに懐いているため、遊び道具を咥えてはしゃぐ仔犬のように尻尾を振っている。(実際彼の尻尾も揺れていたし、獣耳をそばだてている)
 




