282 肉料理:----・------(74)
しかし意外な事にその考えは覆されたのだ。自分自身が誰かの装飾品となる喜びに気づいてしまった。そう、私にこんな手紙を書かせている君だ。
今すぐにアクエレイル全土に婚姻式の案内状でも送りたいくらい、君に夢中だ。
ひっそりと何処かの狭い邸で木々のざわめきを聴きながら二人で過ごしたい。大主教の座は降りるから、時間に囚われずゆっくりと私の魂を養ってほしい。などという本心は、生きている内に口にすることはできなかった。
やはり私は気が多いのだ。君と同じくらい、ヴァンダールという地を愛してしまった。なのにうっかり口を滑らせて「愛しい人」のところに行かせて欲しいと言ったが最後、この地に住む何万の信徒が幻滅したと騒いで、中傷の大行進を始めてしまう。だから最後まで敏腕を振るうことにする。君と過ごしたいという欲はおしまいまで抱えていこう。
さて、私の本音を後になってからこうして慎ましい文章で味わったのだから、表面を撫でたくなるような愛おしさがでたのではないだろうか。紙に口づけをしてもいいように、香を薫じ付けてある。私だと思って好きにしてほしい。
あれだけ嫌っていた男でも、もう二度と逢えないと思うと少しだけ心が痛むだろう。よくある感情だが、君はやさしいからきっと苦しむだろう。
思うに、人は"自身が望むこと"をそれとなく隠して、"して欲しいことを相手におこなう"という、不器用な生物なのかも知れない。
もしかするとこれは真理ではないだろうか。私は他人を装飾品にして不幸を着飾っていたが、実情、妻の役目をして満たされることになるとは思いもよらなかった。
澄まし顔でこれを書いているが、執務室というところが滑稽で、ひどくそそられる。
アクエレイル大聖堂が燃え落ちた夜から、君に所有されていた期間、奴隷のように扱われて(君は心外だというかも知れないが、もう既に私の認識は常軌を逸していると判ぜられているので、呆れることはあっても怒ることはないと思う。それに奴隷という言葉が含む艶には抗いがたいものがあるので、私は好んで自称している)そのおかげでようやく本当の自分と出逢えたという訳だ。この年齢でよもや未知の自分に出逢うとは。
個人が持つ"欲望"というものがあるが、私、ディアリス・ヴァンダールの欲は絶対的強者と個として直面することだった。(ここで冒頭にやっと立ち返る。くだくだしい手紙だ)
強者とは、前大主教のような無口な男のことでも、アクエレイルを治める男のことでもない。私を破壊し尽くす熱量だ。
私はこれまで色々なもので身を飾りつけてきた。死、生、狂暴な獣、生存本能に突き動かされた暴漢や罪人――私という男を演出する為に不可欠であると思っていたが、君はそんな私のことを熱量に変えてしまった。私は、私が望むものに変容した。
繰り返すが、君ほど私を夢中にさせた人はいない。君は最後まで私を蔑んで拒み、甘言一つ溢さぬように気をつけていたようだが、残念ながら私に捕まってしまった時点で遅かったのだ。だから、いまだに"友"などと往生際の悪い呼び方をしないで、次に逢えた時は腹の底から正直になってほしい。
私のシルヴェーヌ、私の冷たい男 愛を込めて
余談だが、君のその名前(シルヴェーヌは美しい響きだ。その二人の男の名前を結合させた悪趣味な方のことだよ)だけは心の底から嫌悪を催している。
君は拾い上げた孤児をすっかり愛してしまって、永久に心に留めようとしているが、あの二人は君の事なんてすっかり忘れて死んだ。満座の親戚一同に顔を覗きこまる中で、うあうあだあだあとまだ言葉も知らない天使たちに見守られて、枕元には小さな靴下なんて置かれて、活力みなぎる家族に囲まれて死んでいった。私は忙しい身だが敬虔な信徒で大主教もやっているので、祈りの一つでも送ってやろうと家を訪ねた。お気に毒に、君は本当に一人になってしまったんだ。でもまたどこかで新しい孤児とよろしくやっているのだろう。
お願いだから、新しい子には間違ってもヴァンダールの名はつけないでくれ。あれは襲名して得た名前なのだから、私の本当の名は君の心の中に残りさえすればいい。
また次の世で逢えた時に呼んで欲しい。
お願いばかりになってしまった、愛おしいのだから許してくれ。
ーーー
ヴァンダール領、大主教執務室。両開きの重厚な扉を開けると、窓を背負った長机が目に入る。机上には書類や巻紙が置かれているが、あらかじめ置き場所が定められ、他の道具とともに万事ぴたりと整列していた。室内には誰もおらず、政治や経済のしがらみだけが漂っている。椅子の方にまわると金属の取っ手がついた引き出しが三つある。愛について語られた手紙は最下段に封じられている。
『ああ 愛する貴方に贈り物を 貴方のお気に召すような振舞いを わたしは貴方に仕え 貴方なしでは生きてられぬ ああ わが主よ わたしたちを導き給え』
大聖堂から響く歌が、愛の美しさを褒めそやしている。部屋はひっそりと黙って主の帰りを待っていたが、夕暮れの赤い陽だけが訪れるだけだった。




