274 肉料理:----・------(66)
乾いた口調がひどく面白く、扇で叩き落とされるさまをうれしく眺める。散々無視されたあとでは何を返されても痒くもない。
「男娼と別れたことが寂しいんでしょう。あぁ、違うな。それどころか喜びで溢れているのか。あいつらは貴方の事だけに満たされて、成り立っていかなくなった。彼らの絶命を見届けなくていいのですか? 特別な絶頂を得られるでしょうに……」
聖霊はしばらく無言で見下ろしていたが、冴え渡った目を私から離すことはなかった。深い目の色を見つめ返すと、おのずと己の目尻の笑みが濃くなる。
いつまでも思いわずらって欲しいという願いは、目を合わせる限り叶い続ける。望んだ光景がようやく幕を開け、浅ましい笑い声が漏れぬように努めなければならなかった。あのように人を見下し、聖霊を自分たちのもののように見ていた二人に今彼が誰を見つめているか知らしめてやりたいと強く思う。この男はお前たちを見捨て、私を追ってきた。そういう男を愛したのだと―――蝋燭の先端についた火が、どろどろと蝋を融かしていくような高揚が腹の下に集まっている。
聖霊は鼻から息を抜くと、優雅な姿の中から侮蔑の色を消し去った。哀れにみることもなく、突然興味を失ったのだ。勝手に追い詰めておいて、ろくに構いもせず立ち去ってしまいそうな気配がして私はもう一度、今度は生気を取り戻して聖霊に掴みかかる。しかし布地が踏みつけられて、磔にされた腕は思うように動かない。
「……お前はいつまで楽観しているつもりだ」
冷たい声だが、いずれにしろ嬉しく耳に届く。微かに覚える不安を隠しながら答える。
「それは貴方もです。私はただの教徒ですよ。それを捕まえて、この仕打ちはなんですか? 男を追わずにいられないご自身を省みられたらいかがでしょう」
「卑しい精神を誇りに思えるのは……大した才能だな」
「皮肉だとしても嬉しいですよ。倫理で叩きあって人の形を整えるのは好きなので」
「……お前が整えられることはあるのか?」
「一方的だと? さぁどうでしょう……試してみては?」
十中八九、挑発であるも、聖霊は際立って優れた顔で相槌をうった。傾げられた首から流れる髪が、落ち着き払った胸元を覆う。雨は彼を避けるので、装いは崩れることはない。裏地まで濡れる自分との違いに、また興奮を覚えた。彼の細い顎や艶めかしい首筋に傷のひとつも、皺のひとつも刻まれていないのだ。生涯何者にも邪魔されることはないと全身で表現する姿は、人の形の究極的なまでの到達点のように思えた。
何十年、または何百年と生きているこの大きな神秘は、何一つ差し障りの無い、そして意味のない光景を見てきた筈だ。何がしかの目的があるのだろうが、長期的だという事がわかる。今日明日どうこうするような、あくせく働くものではない。男はそういった一日という目安から逸脱した流れの中にあって、優艶さと死人のような厭世をまとっている。ガオとプラシドの二人は運よく出逢い、拒まれないのをいいことに仔犬のようについていったのだろう。
これは推測だが、確信をもっていた。見つめ合っていたガオの顔には、持たざる者の卑しさが残っていたのだから。
(だから、この男を欲しくなるのだ)
この男は、何者でもないものに与えられる天からの褒美のようなものだ。
(私も欲しい。いや、私はすべてが欲しい)
湖沼から抱え続けてきた澱みが身の内で渦巻いている。大人しく長考している顔を穢してしまいたい。思いの丈を吐きだしてしまいたい。男の顔めがけて。
そうすればようやく息を吸える気がするのだ。
「……お前の歪みは一貫性がある。訳もなく威張っているわけではない。自分の知性以外役に立たないと知っている。お前の顔には強烈な飢餓がみえる。何をそこまで際限なく欲しがっているのだ」
「……何でしょうね。自由、忠誠、奉仕、誓約でしょうか」
意識の浅い場所で答えるも、聖霊は首を振った。
「違うな。齢を重ねても湖沼で棺を沈めた時から内実何も変わっていない。お前の中に集積しているのは無だ。多くを飲み込み、思うていたその通りの事をやってきても飢えてしかたがないのだろう。人に食って掛かる態度もそうだ。無防備であらぬように自衛しているからだと思ったが、己を投げたところがある……それはお前が……」
「…………最後までおっしゃっていただけないのですか」
「はっ、…………そうか、それがお前の渇望の源か。お前は余が欲しいのか」
笑う聖霊に対し、私は表情をつくる余裕はなかった。勝ったと思った。




