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リリィ 思いつくままに書きとめたささやかな覚書と一切の崩壊。無力な愛、ひとつの不幸、ただ愛を愛とだけ欲したある価値の概念  作者: 夜行(やこう)


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273 肉料理:----・------(65)

「目を逸らすな。余を見ておれ」

「よ?」

「うつくしい顔のほう」

「うん」

「男がきたな」

「きた!」

「左手に何をもっている?」

「手?」


初めて自分の手をみた。花にさよならを告げた手ではなく、もう一方で窓枠を掴むことなくただ押しつけるだけの握りしめられた左手を。しみじみと見る。なぜだか指を開こうとしても思うようにならないのだ。「むぅ」と唇を尖らせて力を入れても動かない。けれど折りこまれた四つの指のしたに、何か硬いものがあると気がつく。乾いて、ざらざらとした感触。すこし冷たい、小さな石―――


握り拳をつくった白い手が、小さな手の上に被さる。自分の手はすっかりと見えなくなり、右から左へと拳が流れると指の下にあるはずの硬い感覚がさっぱりとなくなった。


「うごく!」ひらひらと振って見せる、からっぽの手を。

「男のことも、手中にあったもののことも、今から忘れる」

「わすれる?」

「朝になるまで外に出てはならぬ。窓も開けてはならぬ」

「うん…?」

「夜に窓を開けると、寂しがり屋を呼び寄せる。彼らは孤独を楽しむ相手を探している。連れていかれたら戻ってはこれまい」

「……さっきのひとのこと?」

「だろうな。女々しいほどに。お前は弟を置いて行きたいか?」

「ううん、やだ」

「そうか……いつまでも兄弟仲良くあれよ」


妙に心にしみこむ声に耳を澄ませると、あたりは静寂そのものに戻っていた。


「……あれ?」


目の前にはかたく閉じられた窓がある。空も見えず、木目に暇つぶしにした落書きのあとが残るいつもの姿だ。毎夜お母さんが戸締りをするのだから、閉まっているのは当たり前だけど、妙にこころがざわざわした。寝台には蹴り上げた掛け布が、盛り上がったまま残っている。いつ起きたのか、思い出せない。思考はひらひらと散って、あやふやだった。ひとまず窓を押し開けようと伸ばした手は途中で止まった。部屋の中に他の気配があるような気がしたのだ。寝息をたてる弟のほかに、誰かの気配を。


(あけちゃ……いけないんだっけ? あ、連れていかれちゃうから夜は開けちゃだめだって、()()()()()が言ってた!)


空気も漏らさず、きつく閉じられた窓の向こうでは、蕾が風を受けて揺れている。開花を目前に膨らんだ蕾は、俯きながら日の出をじっと待っていた。理力をそそがれて活力を取り戻した茎は、重たい蕾を支えて真っ直ぐにのびている。頂点を愛らしく飾る花は、日の光とともに綻ぶだろう。


黒衣の裾が花壇をかすめても、彼らは何も気づかずに隣家からまた次の隣家に駆けていく。露台や屋根、吊るし看板を足場に器用に跳ねていくが、目当ての匂いは周辺で途切れていた。路地には骸が点在し、ここで何がしかの戦いがあったことは窺える。黒衣たちは誰も少年の家に意識を向けなかった。堅く閉じられた窓辺と下部に吊り下がる花壇は、外からは可視できぬように細工がされていた。黒衣はひとしきり捜索をして、四方に散らばっていく。


外の事など何も知らぬ少年は、寝台に潜りこむと、別になにもしていないのに幸せな気分を味わっていた。なんだかとてもきれいなものを見た気がした。


(あのひと……もしかして、男の人をおいかけてたのかな)


逢えるといいねぇ、と何となく祈って瞼を閉じる。あのひとって誰のことだろうと問いかけると、部屋に残る花の匂いが美しい面影をつくりあげる。それはすぐに母の顔と重なり、意識はとけていった。





枯れ芝に横たわる男は、霧雨を浴びながら悪戯に手を伸ばして、見下ろす相手の体に触れようとした。

胸には長い裾が滝の如くおちて、奥を覗くことはできないが男に跨られているのだから、腋の間には重ね衣の下にすらりと伸びる脚がある筈だ。足首からふくらはぎへの曲線、膝と太腿、そこにある筈の部位がまったく想像もつかない。骨だけがあるか、もしくは鳥の抜け羽のようなものが塊となっているといわれても納得できる。生きているかすら疑わしい肌の白い男は、目を細めるだけで笑いもしない。


その目は軽蔑でいっぱいになっている。先程まで男二人に傅かれ、褒めあげ、それから舐めあうように互いの存在を確かめ合っていたことが、嘘のように名残りの無い侮蔑の視線だった。結局追いつかれ、理術によって叩き落とされた私の方が落ち着いた目をしている。


ああいった至極聴衆的な茶番を見せられ、怒りを感じるどころか精神はとある閃きを得ていた。この聖霊は雲を扇いで、ふしぎな術で人に説法する煩わしいあやかしなどではなく、夫妻の役目ができるただの人なのだと気づいた。あんな俗物的なやりとりができるならば、黙りこくって見下ろす男の脚くらいなぞってやれば、よがる声のひとつ聴こえるだろう。だから手を伸ばした。その方が互いに退屈しないというものだ。


聖霊のもつ恭しい態度は古風で、落ち着いた微笑で何事も許す空気はない。そこが商売女とは異なり、求める気持ちを溢れさせる。


「触るな。屑が」






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