27 汗と魚と、
リーリート・ロラインは黄緑色の多肉植物から、一枚の葉を切り取った。
放射状に広がる葉は、彼女の指と同じ程度の幅で、なおかつ弾力のある柔いものだったが、先端に太く鋭い棘が生えているため扱いには細心の注意を払う必要があった。まな板に乗せた葉を解剖用の小刀で薄く刻み、ひとつを摘まみ上げて顕微鏡に移す。
リーリートの周囲には沈黙のみがあった。研究室と続き部屋になっている温室で(研究室とは違って、こちらは植物の栽培だけを行っている)いつものように相応の成果を得るために理力術と組み合わせることのできる植物の研究に勤しんでいた。
細胞構造をのぞきこみながら、リーリートは自身の内に存在する理力を意識する。雨だれが樹木の肌を濡らすように、体内の理力を指先に集中させる。すると細胞膜に浸透した理力が本来の蛍光色の細胞を青く染め上げた。
色素と結合して蛍色を放っていることを記録し、さらに理力を注ぎ込んでいく。過剰に与えられたことにより、増殖し、果てに死滅するまで。呼吸を最低限にしながら、黙然と打ちこむ。
「………なんだ」
リーリートの視界に淡い光が射し込んだ。最初はまったく新しい合成反応かと思ったが、顕微鏡から顔をあげると親指程の小さな光の珠が自身の周囲を漂っていることに気づいた。
光はやがて霧散した。リーリートは消失点を睨んだまま思考をまとめる。
強いて言葉を出すとすれば【理術に未熟なものが発動させた伝達術】だろう。遠く離れた者に肉声を届ける術式である。
一般的には光の珠というような伝達術であると判断しにくいものではなく、飛翔しても問題のない鳥類の姿を取ることが多い。先程消えた光の珠は、輪郭の無い球体であること以外に何もなく、リーリートは返事をする義務をもたなかった。
けれどどこか胸を重くするものがあった。作業を保存し、空気中に微量残った理力に集中する。発動者まで辿るために。
背後の硝子扉が開き、シャルルがリーリートを呼んだ。そして明瞭に告げたのはアクエレイルの対岸にある鉱山の名前だった。
同時にリーリートが鉱夫の理力を掴んだ。振り返る。
◆
クライス地方での採鉱の歴史は、マーニュ川の河口で漂砂鉱床が発見されたことに端を発する。国をあげた鉱業優先策により、川底すべてが鉱床であると判明し、さらに質の良い鉱床がマーニュ川上流で発見された。
当時理力の保存または媒介物として使用されていた柘榴石は、比較的手に入りやすかったが、理力保存率や拡散率にばらつきがあり、柘榴石をもちいた理力術の発動は術者の技量に大きく左右された。そのため体内に理力をもって生まれながらも、その術を活用できるものは理力操作に長けた者に限られた。
理力の発展は停滞したが、身の内に宿った過剰な理力が制御できず数多くの命が失われ、人口減少の一角を担うほどの問題となった。そのため質の良い鉱石の採掘、そして理術の健全なる活用は急務となった。すぐに国立理力研究所が新設され、鉱石採掘のためマーニュ川東部に開発の目が向けられた。
北東部、クライス地方を治めるシュナフ家は採掘のために多額の資金を投資し、川沿いに工場を整備した。
そして採掘されたのは、柘榴石より遥かに理力保存率が高く、拡散力に優れた石だった。何よりその無色透明の光沢は、光にかざすと拡散し、宝飾としての価値もあった。最初の一粒はすぐさま龍下に献上され、その節の機関誌には「星を手にした」とのお言葉が掲載された。
クライス地方 トーリン・シュナフ鉱山 坑道―――
上半身裸の男たちがひどく汗をかきながら、地下での作業を続けていた。
今朝の点呼では五十二名が出勤していたが、既に五名の体調不良者が出ている。従事するのは三十才前後までの年若い男だが、狭い坑道での長時間の作業は経験を重ねたとしても苦しくつらいものだった。
石を叩く槌の音が厚ぼったい空気を振動させる。地上の空気は縦穴から供給されているが、常に熱気が篭り、地上など遠い別世界のものに思えた。
「なぁ、兄弟」
振り返ると、手拭きを大きな角に引っ掛けた見るからにいい加減そうな男が腹に手をあてながら、相棒――蛇の顔を持つ男を見つめていた。
「出し抜けになんだ。兄弟じゃねえ」
我ながら丁寧にもほどがある。くだらない話をして空気が汚れるのだとわかりきっているのに、またこの男の無駄話に乗ろうとしている。疲労のせいで頭がいかれてやがるんだ、こいつも俺も。蛇顔のレヴは槌を持つ手を止めずに答えた。
「晩飯なんでしょうね、そればっかり考えてんですよ」
「くだらねえ……さっき昼食っただろうが」
「ですけど。空くもんは空くじゃないですか。俺はごりがいいなぁ。ごり汁。女たちが川狩りをするって言ってたんですよ。たくさん食べれるかなぁ……食べてえなぁ…」
川魚のごりを鍋に入れ、煮込む。ただの質素な煮込み料理だが、レイクは顎をあげて、空気を食む仕草をした。伸ばした首に玉のような汗が流れた。相棒に馬鹿を見たような目で見られていることに気づかず、溜息をひとつついてレイクは平然と掘りを再開した。気の抜けたとろくさい打音がやかましく、レヴは顔を顰めた。
この男と組むことになって長いが、いまだに雲を掴むような気がしていた。体は引き締まり、それなりに鍛えてはいるようだが、どことなくいつも目の前ではなく遠くを見ているような、魂がうろついているような男だった。
「ごりってば、他のより大きな卵抱いていきるんですよ。もっとちいせえ卵をいっぱい育てたらいいのに、だから子供がどんどん少なくなっちまう。いつか食えなくなると思うと、こわくてたまらないんですよ」




