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リリィ 思いつくままに書きとめたささやかな覚書と一切の崩壊。無力な愛、ひとつの不幸、ただ愛を愛とだけ欲したある価値の概念  作者: 夜行(やこう)


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269 肉料理:----・------(61)

男は知らぬようだが、黒衣のものたちは"あの男"の子飼いの集団なのだ。このアクエレイルという首都と、国を治めるただ一人の男が有する毒牙なのだ。捕えられれば最後、火災による焼死と公表されて、明日には新しい大主教の指名をあの男が直々に行うのだろう。


足を返して間合いを切り、傾斜を下がってよろめいたと思えば、大主教は倒れながら黒衣の脚を払った。その軽快さは自分の命を捨て鉢するつもりがなく、元より集団戦のたぐいを集積してきた男の生き様が感じられた。背負っている紋章が象徴するように、ヴァンダールの最上位までのぼりつめて、それを為した理由があるというようだった。屋根を越える一群の木々に飛び乗って、それを追って人影が入るが、落ちていったのは黒衣ばかりだった。

かつて同じ紋章を背負った男が退いて、あのような若造を指名したとはおよそ考えられなかった。獅子の種族らしく集団の頂点にいることが定められて生まれた男からすれば、小賢しいだけの男など唾棄すべき相手だろう。いかにも野卑な精力に満ちた顔をして防御理術をとなえ、プラシドが黒衣を相手にしている間に、屋根の端から身を投げる。肩越しにこちらを見て、一瞬気狂いを侵したような笑みを浮かべた。


(あの顔、漸く思い出したぞ。妻の死を利用して快楽を得ていた愚か者―――忘れていたかったわ)


プラシドが走りつつ、片手打った理術で射手を打ち倒した。そのまま屋根の端から身を投げ出して大主教を追うも、黒い刀身を煌めかせて飛び上がってきた男に突き放されて、また屋根に戻った。障壁が剣筋にそって縦に割れる。「プラシド!」叫ぶも、柔らかい手のひらを背中に押し当てて、五指を開いていた。庇い立ては無用と伝えているので、背に加護を吹きつけると、合図のように片手をひらりとあげた。帯がプラシドの周囲に展開される。二重の帯、そして花弁の障壁にさすがの黒衣も慄く気配があった。


誓約解放(プレジア・ディート)!」


プラシドとガオの理術が同時に炸裂して、アクエレイルの夜を騒がせる。黒衣の者どもは同胞が倒れても付属品のような扱いで、次々と斬りつけ、射かけ、殺そうと向かってくるがそこに熱はない。


「気安い。頭を垂れよ!」


扇状に広がった一閃が空を引き裂く。衝撃波によって花壇と家屋が崩れ、ひきちぎられた花弁が散る。細かい残骸におそれた馬が静けさを割っていななくと、がらりとどこかの家屋で窓が開く音がした。次々に灯って輪郭を強調する窓が、男達の背中を照らし始めた。

黒衣は闇に散るが、理術矢を強引に叩き落としたガオが逃れようとする覆面の男の上に圧し掛かった。握り込んだ両手で頭蓋を打ちこみ、屋根ごとごぼりと下肢を沈める。理術で身を軽くした覆面が、獣のように逞しく隆起する背中に飛びかかるも二人分の重さごと枝をおるように首を折ったのはガオの手だ。ガオはそれほどの男だ。


殺到する者を追い返し、ガオは一旦下がってくる。

「限りがありません。貴方様は逃げ足の速い御仁を捕まえに行ってください。きっと殺されましょう」

「ちッ、まだ話が終わっておらんというのに」


あれが大人しくしていればと忌々しく思うと、ガオはくっと歯を見せて笑った。

耐え切れずふきだしたのだ。眩しそうに目を細めて、握り直した拳をゆるめた。


「ならば、次のときを楽しみにしております」


約束などしたことのない互いにとって、その言葉がどれだけのものか理解できた―――強いといえど、加護があるからこその無謀が通っている。この身が離れればどうなるかは明らかだ。しかしガオは死を受け入れている。力の抜けた笑顔があらゆる未来を拒絶している。――だから無性に居心地が悪い。胸の奥がむかむかと迫り、何かを言わねばならないと強く思うのに、それが何であるのかまだ言葉にできなかった。

もぞもぞと動く口は、縫い上げたように塞がっているが無理やりにこじ開ける。


「お、…おっ、お前たちが死ぬ事などどうでもよいのだ」


どうして逆さまの声色になるのかわからない。


「えぇ。多くを見送ってきた貴方ならばそうでしょう」


恐れる気配もなく笑っている男に、こんなにも否と言いたくなるのかも。


「何故こんなにも気に掛かる?」

「……わからないというのですか?」


黒衣は新しい陣形を組み、理術を唱えている。長い詠唱の隙に、ガオは誰よりも優美な姿をした男の顎を、とんと指先で叩いた。まるでそんなに食いしばらなくてもいいと教えるように。瞳が上を向き、月の光を集めて煌めく。

あの頃憧憬のあまり決して見つめられなかったものだった。恥ずかしくて、盗み見てばかりいた。今は自信をもって見下ろすことができる、そんな男になれた。すすきの覆い尽くす平原を甘くのびのびと走った日々が思い出されて、どうか同じ記憶を懐かしむことがあるように祈った。二度と訪れないいつかが目の奥をしきりに揺るがしている。そして今もまた二度と来ないひとときであった。






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