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リリィ 思いつくままに書きとめたささやかな覚書と一切の崩壊。無力な愛、ひとつの不幸、ただ愛を愛とだけ欲したある価値の概念  作者: 夜行(やこう)


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256 肉料理:----・------(48)

窓の向こう、まだ蕾のオリエスに朝露が滴る。

一角で餌をついばんでいた鳥が庭師の足音に気づいて一斉に飛び上がった。少女もまた兄の視線をふりほどいて羽ばたくべきだとわかっていたが、花瓶に活けられた花は自らが咲く場所を選ぶことはできない。

精神は胸の奥でつまる言葉をしきりに吐かせようとするが、肉体的にそれを拒む方法はいくらでも残されている。それを選べない愚かさが己をあまりに空しく映して、いわんや兄の時間をこれ以上奪うことが正しいのかもわからなくなっていた。


(言ったとして何になるの……?)


嫌悪が渦巻いて平然たる態度を繕う事も出来ず、暗い孔の中に落ちたような気持ちになっていく。


兄は決して妹の心を拘束しようとはしなかった。羽毛を撫でるように優しく往復する手や幼稚な心の旅のおわりをじっと待つ目も、体の奥で何度も変形し、封印して、また掻い潜って出ようとする嘆きをすべて受け入れようとする意思が表れていた。


優しさに後押しされ、「妹」の仮面を貼りつけて顔を上げたが、ためらいと決意の間で揺れる生の悲しみがすかさず仮面を剥ぎ取り、別の仮面を貼りつけていた。「末子」「養子」「拾い子」「聞き分けの良い子」「我儘ばかりの子」

色々な仮面が、少女の脳裏によぎった。それはまるで人の宴のようだった。何かを言い切らなくてはと思うも、少なくとも身の回りの世話をされ、家や人、掟に守られていることは恵まれており、それ以上を望むことは贅沢だと別の仮面が口を封じる。思考のはるか彼方では複数がざわざわと諭すが、喉元にせりあがっているものは全く別の言葉で、愛らしく尖らせた唇だけでは堰き止めることはできず、手背を撫でつける兄にとうとう奥深いところを手渡していく。


「みんなが私の事をとても大事にしてくれているのはわかっているの。……でも空と湖が同じ姿をしてもけっして融けあうことはないでしょう? 神々の山が蓋のように置き被さって押さえつけている。まるで私みたい。毎朝景色を眺めているだけでどうしようもなくなるの。どんなに焦がれても融け合うことができない、あの湖は私そのものなの」


――だからなんだというの?

言葉の曖昧さに情けなくって目元が熱くなった。これじゃあ癇癪じゃないの、そう頭の中で自分を叱りつける。


「うん。私もあの湖がとても好きだよ。もっと聞かせてくれ」

「あ……わ、……わたし、いけないことだって分かっているけど……都にも、村にも行ってみたい……だって私だけ……違うの。忘れて……違うわお兄様、お忘れになって……いや……っ」

「待て!」


兄が続きを言う前に、少女は重厚な扉が開かれた隙をみて、あたかも風が吹き抜けるように出入りする従者の合間をとおり抜けていった。都からの荷物(ほとんど妹への土産ばかり)を持った従者は、執事の驚愕の顔を見て硬直するも両手が塞がっていたため、ぐるぐるとその場で回転して荷物を額づかせることを必死に避けた。


トリアスは膝をついたまま、ただ己の指先に落ちた一滴の涙を見つめていた。執事が迎えを出すか問いかけるが、首を振って「いい」とそれだけ喋った。胸裏に忍ばせていた手巾で涙を拭うと、こんな無用の悲しみを咲かせる為にともに暮らしてきたわけではないのだと、ずたずたになる気持ちがある。あたかも目に映るすべてが天界の景色であるかのように、無邪気に笑う妹の声を今すぐに聴きたかった。しかし思うことさえ罪深く、連れ出してやることもできない身にはしんしんと痛みが募った。



『どんな自分でいたいか自分で決めるといい』


―――どんな自分でいていいのだろう


この地には掟がある。教会法にも勝るロライン家当主の言葉だ。

その父が敷地内から出るなと厳命するのだから、見える景色だけが私の世界であり、それ以上を望むことはできない。規律には必ず理由が存在する。指環のことだってそうだ。兄にだけ与えられた理由があり、その理由を言葉にして開示する必要はない。もしもどのような真実も顕に示されなければならないとしたら、胸奥に本音を隠している自分もまた、どんな秘密も打ち明けねばならないのだから。


茶色い幹が真っ直ぐに伸びて、細長い葉っぱが無尽に広がる針葉樹の森の中、太い幹のあいだにできた洞に身を寄せ、孤独を味わう少女は自分を精一杯抱きしめながら逃げるように体を丸めた。

目を瞑ってもいたずらに頑なな自分はどこまでも追いかけてくる。死地を得る事など考えていないが、騒がしい脳裏を沈める為にひとりになりたかった。


「だめ、まだだめ」


外套を翻して衣擦れの音をわざとらしく響かせて、男がひとり己の存在を主張した。勇ましく白刃を腰に佩き、帯剣を許されているロライン家の護衛は制止を聞かず、苔むす地面を遠慮なく歩き、横たわる少女の身を起こそうと近寄ってくる。


「もういいでしょう」






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