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リリィ 思いつくままに書きとめたささやかな覚書と一切の崩壊。無力な愛、ひとつの不幸、ただ愛を愛とだけ欲したある価値の概念  作者: 夜行(やこう)


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255 肉料理:----・------(47)

窓辺で本を読んでいる時など硝子を擦過する光を受けて白々と冴える横顔は、他者の容喙(ようかい)を拒絶する神聖な美に充ちていた。ふと気を引く嘘をつきたくなるが、浮薄に流して騒然たる心身へ妹を引き込みたくはない。

変化の乏しい生活に耐えかねて書物に没頭しても、心までも救いあげられるわけではない。頁をめくる手を止めて面差しを持ち上げたとき、その瞳にもてあました熱が青く灯ってねじれるのが見えた。


その暗い憂愁は固く閉ざされた唇に寂寥をのせる。何を考えているかは察せられた。耳の裏に髪を挿し入れて、妹は唇に舌を差し挟んで上唇をゆっくり舐めとる。水差しへ手を伸ばした刹那に視線がかちりと合わさった。トリアスは硬直したが美貌によって膠着したのではない、他者を憂き目に引き込むような色のない面差しが亡き母に重なってみえたのだ。


トリアスでさえ朧げな母の顔。それが亡くなったあとに迎えた妹に重なるとは、家族になりたいという切ない悩みに何と皮肉なことだろう。父は母の肖像画を外してしまったから、妹は母の顔も知らない。

種族も異なれば、血の繋がりもなく、"妹だけ"は確かに異質な存在だった。しかしそれが何だというのだろう。親が子に似るのは両親の性質をもって生まれてくるからだが、生活を共にすると非遺伝的な伝達もおこなわれることは否定できない。彼女が大きくなるにつれトリアスやスベルディア、そして父と共通点が増えてきている。環境が対応する周囲を変えていくからだ。


しかしそれは元より一つの円の中にいた者の考えだ。彼女は円の外側からきた者。アクエレイルから西方、山奥に広がる湖とその向こうに堆積する神々の山脈の管理者、ロライン家の役割を果たすために生まれたことはトリアスにとって一部でしかないとしても、彼女はその義務を負って生まれたわけではない。彼女の役割はこの邸と敷地の中で、健康に過ごす事、ただそれだけだ。


その役割が彼女に疎外を感じさせている。他者から見れば「ロラインの末娘」に他ならないとしてもだ。くだらないと誰が一蹴できるだろう。使用人たちに囲まれ、美しく着飾っても、妹はいつまでも孤独なのだ。


(頬の裏を噛むようになった幼子に、愛していると伝える以外に何をしてあげられる……)


トリアスは劇の役者がつける仮面のように「次男」という仮面をつけて、相応しい一定の振舞いを演じている。両者の間に生じるのは、役者の自己認識と観客からの認知だ。

だから妹の心に巣食う闇を払うには、妹自身が「自身の仮面」の定義づけを再構築しなければならないと考えていた。


山奥に孤高な老人が住んでいたとしよう。老人は黙々と歳を重ね、自身のことを何の形容もせず、ありのままに生きていた。森には他人がおらず、老人は我が身を水面に映すこともなかったので、何もわからず、被る必要もなかった。そこへある日若者が訪ねてきて、強制的に「認識」という仮面を被らなくてはならなくなる。若者は人里離れて暮らす老人に仮面を嵌めこんだ。


「髭面で人語も喋れそうにない野蛮な男」――老人が若者をみても驚いたり、話しかけることもしなかったからだ。

「山奥に引き込む暗い理由がある悲しい男」――老人が片足を引きずって歩いていたからだ。

「森で迷う自分のようなものを残虐に屠ることを楽しみにしている奇人」――机上に置いてある狩りの道具は大事に手入れされている。もしここで襲われたら、悲鳴は誰に耳にも届かず、助けも見込めないだろう。


若者は老人が何かする度に仮面を嵌めては別のものに差し替える。この行為を阻むことはできない。仮面を嵌めることは「相手を見る」という当然の行為だからだ。

しかし老人はその方向性を変えることができた。どんな仮面を被るか選ぶことができるからだ。若者に対し、優しく語り掛け、食べ物を分け与え、寝床を差し出すことも、殴りつけて、皮を剥いでしまうことも好きに選ぶことができる。優しくすれば若者は老人にそういった仮面を被せ、殺そうとすれば真っ黒い仮面を嵌めこむだろう。

それが「仮面」、それが「自己認識」、それが「他者の認知」だ。私達の間で永劫響き続ける、この世界を統合する共通の感覚だ。


『お兄様? いらしたならお声をかけてくれればよかったのに』


本を長椅子に置いて、妹はまるで思慕を全身で抱きしめるようにトリアスの腰に抱きつく。陽をいっぱいに浴びた可憐さが、日覆の影からさっと飛び出してきたのだ。笑顔、これが彼女の本来の資質で、最も美しい装飾品だろう。


妹は成長するにつれて、自ら「健気な妹」という仮面を被ってきた。ロラインで過ごした日々、父の教育、彼女自身の応えたいという欲求がそうさせる。苦痛と思った事は何度もあっただろう。彼女のためとはいえ、余りに惨いことを強いている。本当は家や領地に縛られず、心の儘に好きな場所へ赴いて欲しいと願っている。都にだって連れて行きたかった。共にいれば楽しいだろうと、何度も手紙に書こうとして手を止めた。それは叶わないことなのだ。


トリアスはせめて、自分に溶かすことができる不安は消してやりたいと思っていた。我儘もいわず、良い子を続けている妹に与えてやれるものは愛情のほかになかった。






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