254 肉料理:----・------(46)
「こんな物に意味はない。持たせることによって血の繋がりを証明するとかそんな意図はないんだ。今までずっと黙っていたのか? お前らしい賢明さだが、そんなものはいらない……どうしてだかわかるか?」
少女は丸みの残る手を胸に合わせて、兄の口から生じる一語一語を自分の荒れ果てた胸におさめる為に肉体的にも精神的にも身構えた。指の隙間を押す指環は兄の好みとは違う重厚さを帯びていて、それが少女の目には異質に見えていた。金環をちらと見て怯えるように目を逸らしたので、トリアスはさっと片手を体の影にしまった。強請るのではなく恐れるところに少女の本心をみたような気がした。
「みんなお前を愛しているからだ。血によってでも、家柄によってでもない。お前そのものをあるがままに見ている。それなのに日々の暮らしの中で何も感じなかったというのか。全身任せきりになって、心行くまで磨かれて、花のように飾られて、そうされながら苦しみを覚えていたというのか。何故? 愛されているとわかっているのに裏を見るようなことをする」
「……本当は全然そんなことはなくて、私が我儘を言って家を飛び出していかないように、可哀想な子にしておきたいだけなんじゃなくて?」
「読書は決していい趣味だとはいえないな。心に作り話が混じって本心にもないことを言うようになった。厳しく言うが、難しく考えるから真実が遠ざかる。自分のことをただ真っ直ぐに見なさい」
「……」
「お前はもっと容易に生きていける。さっき言おうとした事は二度と口にしないと誓ってくれ。あんなものディーは気絶するだろうし、私も聞きたくない」
「……でも真実だけで生きてはいけないでしょう? 愛されていることも事実だけど、私の血が繋がっていない事も事実でしょう」
鋭利な言葉の刃物を受け止めて、トリアスは例え血が滲もうと表情を変えずに頷いた。
「そうだよ。だけど、何をもってして家族というのだろう。血か、家名か、教会の誓いか、それともこの武骨なだけの指環か。私の血をすべて捨てて、馬の血と入れ替えたら私は兄ではなくなるか。教えてくれ」
「…………」
「泣くな……いいよ。お前が決めるといい」
「何を決めればいいの?」
「他人にどう見て欲しいかを決めるんだ。私はロライン家の次男として、兄と共に修学に励み、礼儀作法を学んでいる。父に言われたからでもあるし、ロライン家に生まれた者としての義務でもあるが、当然拒絶することもできる。こうして堅苦しく着飾って卑屈を感じさせない男を演じることも煩わしくてたまらない。できることなら辞めたい。お前も知っての通り本当の私は馬を責めている方が好きだし、衣に着られているような奴らに気取った話を聞かされるより、井戸端で野菜を洗っている奥方たちに混ざったり、御者と庫の中で賭け事をしている方が好きだ。今のは」
聞かなかった事にしろ、微々たる額だ。と、後ろに控えている執事に言うと老年の男は眉をしかめたが、すぐに頷く。
「あとはお前と遊戯をするのは嫌だとも思ってる。負けると泣くからな」
「そんな……」
嫌と言われて痛烈に感じたのだろう妹の顔が歪む。誰よりも愛しているというのに、たった一つの矢で胸を射られたような顔をするのだから苦笑いもでる。それでも言い返してこないのは、一度負けただけで大泣きした日の事が情感の制御ができず、余りにも幼稚だったと苦々しく感じているからだろう。まだ幼いのだから恥じ入ることではない。
「放りだしたい時もあるが、私はすべき事をすることを選んだ。今も選び続けている。私がそう決めたからだ」
「トリアス・ロラインでいることを選んだということ……?」
「兄が優秀でも腐らずに自分の道をゆくトリアスをね。だからお前も、どんな自分でいたいか自分で決めるといい」
「私……」
長い沈黙がおりる。少女の蓄積された悲しみが芽吹いて、実際のところここで刈り取ってやりたかったが、土くれの下には細い根が方々に張り巡っているのだろうと思うと今日だけでは終わらないのだろうと思えた。
トリアスは妹の逡巡を待ちながら、守りたい大切な存在を眺めた。彼女は小さな手を凝視して、歯をもごもごと動かしている。精神上の苦労があると口を噤んで頬の肉を甘く噛む癖があった。頬の裏側に筋が浮き出て、やってはいけないことだと教えても、その時には意識も薄れ、噛むことに集中してしまう。悪癖ではあるが、必死さの表れでもある。
確かに彼女の言う通り、日増しに大人びてきた。背は少し伸びて、選ぶ衣裳も居住まいも見かけはまるで人に傅かれることに慣れた令嬢であり、物静かにしている時など言葉もないほどに美しい。




