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リリィ 思いつくままに書きとめたささやかな覚書と一切の崩壊。無力な愛、ひとつの不幸、ただ愛を愛とだけ欲したある価値の概念  作者: 夜行(やこう)


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251/434

251 肉料理:----・------(43)

「執行官からはまだ何の連絡も……今は救助に集中しましょう。消火に行くのでしょう。深追いはせず、何事も思いとどまって下さい。物より命です」

「しかし祭壇の遺物は」

「燃えるなら燃えた方が良いのです。それが神の思し召しなのでしょう」


男は空を仰いだ。咽び泣くように燃える炎に、名残のような弱い雨が降り注ぐ。燃やしたいのか消したいのか、神の意志は何方付(どっちつ)かずのように感じられた。




ぱちりと目を覚ました少女は、寝具を跳ねのけると台座を使わないと登れない寝台から滑り下りて、脇目も振らずに窓辺に駆け込んだ。

重たい窓掛けを引いた時には起き上がった気配を察して、侍女が台座を押して朝食を運んでくる。焼き菓子と牛乳入りの紅茶の準備が終わる頃、長細い窓の隅々まで眺め終えて、振り返ると侍女の白い顔に苦笑が浮かんでいた。


「……そんなに楽しいところなのかしら」

「遊びに行かれたわけではないのですよ」


少女は何も答えずに黙ったが、体を前に出してもう一度外を見た。

曲折した庭の道、整った生垣、湖のほとりの小さな宮、湖周の小路、そのどこにも恋しい人の姿はなかった。本当はいないとわかっていたが、それでも確かめずにはいられなかった。


いつも少女が目覚める頃には、朝駆けから戻った兄が小さな宮のそばで馬を休め、むつかしい顔で何かを話していた。雨の日でも風の日でも必ず湖の様子を己の目で確かめることが、ロライン家の慣例なのだと聞いたことがある。露台にでて手を振ると、必ず気づいて、おはようと笑みを見せてくれる。そんな誰よりも愛おしい兄は、修学のために都に滞在していて、しばらく領地を留守にしていた。


溜息を飲み込んで食卓につくと、何とか心の折り合いをつけた私を慰めるように侍女が髪を撫でた。椅子の後ろに流して、その間に別の侍女が夜着の結び目を整える。寝台には今日袖を通す衣裳が何着か用意されており、私は真ん中を指定して紅茶の匙を手に取った。


「でもずっとお一人で机にかじりついている訳ではないでしょう? 私がご友人なら、お兄様みたいな見識深くて慎み深い方を崩して遊ぶのがきっと好きよ。この雪の地では味わえないものを集めて、いつも何か抱えていらっしゃる頭も胸も全部空っぽにしてさしあげたい。もしそれで飛びきり魅力的な方に出逢ってしまったら、きっととても美しい恋愛をして結婚なさると思うの。すぐではないわよ。障害がつきものだもの」


後ろにいた侍女たちが「まぁ」と、くすくす笑った。彼女たちは少女の全身から発する可憐さを眩しく見つめる。


「ご結婚となればお相手の御家柄もありましょう。それに旦那様がなんとおっしゃるか」

「お父様はお許しになるわ。だってお兄様のこと信じていらっしゃるもの」


兄は頭脳明晰で理術も堪能。非の打ち所がないという言葉がそのまま人の形をとったような人だと少女は思っている。兄は少女の誇りだった。領地一族としての自負と民を想う優しさを持ち合わせ、いつだって正しい選択をする。そんな兄を信頼しているからこそ、父もあれこれ踏み入ってはこない。


少女は自分もロライン家の者として、そういった勤勉な素質が備わっていることを願って家庭教師に様々教えを乞い、日中の多くの時間を書斎の本棚の前で過ごしてばかりした。そのおかげか、邸から出る事がなくても恋愛や結婚についても物語の中で何度も味わっている。(古語で書かれた懐旧談や名作と名高い文学作品しかないので、考えが未成年らしからぬ風情なのはそのせいなのだろう)


けれど侍女は少女のそういった、見た目に及ばぬ細かい気遣いや高い目標を掲げていることは知らず、少女らしく拗ねていると思った。少し身を屈めて、焼き菓子のほんのひとかけらを口に含んだ少女にこう言った。


「……都にご同道をお許しいただけなかったこと、まだ心残りとお思いなのでしょうか……旦那様は決してお嬢様を縛り付けたくてそう言ったのではないと思っています。私共には旦那様がお嬢様をとても大事になさっているように見えますよ」


少女は肩越しに振り返って微笑んだ。そんな事はもうとっくに忘れていたとは顔に出さなかった。


「ありがとう、わかっているの。そんな顔しないで。私は物分かりがいいの。お父様のおそばにいると顔の癖もわかるくらいなのよ。お気持ちはわかっているわ」

「癖ですか?」

「そう。面白いの。教えないわよ? もしも貴方たちがお父様のお顔をみて、どうしようもなく笑ってしまったら私もつられて笑ってしまいそうだもの。秘密にしておかなきゃ」

「――それは残念。私にも教えてくれないのかな」


少女は驚きのあまり、自分の体が飛び上がったような気がした。侍女たちも同じように期待に満ちた顔で扉を振り返り、立ち上がった少女を見て自分のことのようにはにかんでいる。少女は侍女たちの間を通り抜けて、大理石の円柱が並ぶ廊下に飛び出した。待ちこがれた兄の胸に飛び込み、「あぁ」とぴったりと寄り添う。


「お帰りなさい……スベルディアお兄様……」






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