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リリィ 思いつくままに書きとめたささやかな覚書と一切の崩壊。無力な愛、ひとつの不幸、ただ愛を愛とだけ欲したある価値の概念  作者: 夜行(やこう)


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250 肉料理:----・------(42)


ディアリスがガオによって連れ出され、アクエレイルの街並みを舞台に屈辱と対面しているその時、司教座で暮らす多くの教職者は夕食を終えて各人自由な時間を過ごしていた。

晩餐会のために柱の一茎まで煌々と照らし出されていたのは広間のある館だけで、同区内にある主要施設は静まり返っており、宿舎では掛け時計をちらと見て、さぁ明日も早いのだから寝ましょうと、子供たちの背を押す修道女などが見られた。多くが何事もなく一日を終えようとしており、麗容に踊る晩餐会は権力を中心に生きるものだけが己の不粋を見せつけ合う場でしかなかった。ふくよかな修道女が歩くのも難儀する少年を抱き上げたが、太陽とともに眠る習慣となっている子供たちは既に舟を漕ぎ始めていた。


次第に夜が濃くなり、尖塔が崩れ去った。

その轟音は天を裂き、寝間着で胡乱な話に及ぶ女たちの柔い空気や、明日の平和を祈る司祭の沈黙、靴磨きに没頭する小間使いの熱心な息遣い、逢瀬を重ねる男女の頭上に降り注ぎ、彼らの平生を一息に飲み込んだ。

何事かと窓枠にかじりついて外を見上げた彼らは、赤く燃え盛る星を見た。成人した男でさえ幼い口調になってありさまを叫んだが、実際は流星ではなく落雷に貫かれて瓦解する尖塔そのものだった。外側の壁は剥がれ、翻された内臓が夜の冷たい闇に曝される。そして何かに引火し、尖塔はまるで一本の蝋燭のように燃え上がった。いそいで人を集めて、消火しなければならない。尖塔は大聖堂の裏手に聳え立っている。男も女も扉という扉を叩いて、急いで外に出ろと声を掛けていく。


大聖堂の前は集会が行えるように大きな空地となっており、人々はおのずと広場を目指して集った。能動的に動き始めるものたちは早々に散っていくが、そうする事もできず天を見上げていた者達が一斉に叫んだ。まるで身を切りつけられたような声だった。


「大聖堂が燃えている!」

大聖堂の正面大扉は閉ざされている。重厚な両開きの扉は何の変化もない。

「どこだ!? 見えない! 尖塔ではないのか!? 本当に聖堂が燃えているのか?」

「間違いない! 尖塔の破片が聖堂の大屋根に落ちたんだ! 西側の集会室の窓が開いていて、そこから黒煙が漏れている! あれじゃあ奧は火の海だろう……!」

「……そんな…、じゃあ祭壇は」


それ以上言葉にはならなかった。熱気がわっと全身を駆け抜ける。息が苦しくなって、頭の中はまだ大丈夫だと意味もなく望みをかけ、もう一方では打つ手が無いと諦めようとしていた。私達の大聖堂が燃えている。その言葉は冷たい刃となって信徒の心を貫いた。

アクエレイルに住まう者にとって、大聖堂は国の象徴であり、自身のもう一つのうつし身だという共通認識がある。

強張る彼らの鼻に異臭がつきまとった。焦げ臭い。言う通り、聖堂が燃えているのだと、身を震わせる。


背後では絶えず声が交わされていたが、その中で何度も名を呼ばれる男がいた。何かにつけて人から頼られる男は教職者ではなかったが近隣の教区に住む頑強な男だった。誰憚らず出身地の訛りで話すが、決して人の悪口だけは言わないと心に決めた真っ直ぐな男だった。

男が広場にやってくるやいなや、同じように助けになればと駆け付けた他教区の男女が一斉に駆け寄る。男はそれらを迎えて、頷いて返した。


「これから言う事をよく聞いてくれ。今から大聖堂及び旧記念会館の消火と避難作業を開始する。ここにいる者を三隊に分ける。男は前に! まず理術に覚えがある者、特に水術に長けたものは前に出てきてくれ! 次に私の左右、ここで半分に分ける! 消火を手伝えるものは溜め池へ移動だ。この結髪のアデスが誘導する! 行け! 残りは私と共に消火と逃げ遅れた人の救出にあたる! 単独行動はさせない、隊分けするので均一に並んでくれ! 顔見知り同士だと尚良い! 侍従長、侍従長は付近の子供や老人を、赤煉瓦棟まで避難をお願いしたい。修道女たちに逃げ遅れた者がいないか点呼を取らせて欲しい。全体の統括はこの場で司祭方が指揮してくださるが、ここは一時的な救護所も兼ねる。赤煉瓦棟の治癒師は数名残して、あとは広場にくるように言ってくれ」


住人も教職者も躊躇わずに応じた。

指示を下し終えた男は、一つに顔を集めて密談をしている司祭たちの輪に近づく。わざと大きな足音を立てたので、彼らは一瞬で顔の角度を変えて男を労った。両者は節礼の会で定期的に顔を合わせる仲である為、こういった火急の場では男の方が均整が取れ、事を分明に運べると疑うものはいなかった。みなそれぞれ違う声色が、一つの楽器を奏でたように斉一に鳴ったが、一方では冷たい眼差しが大聖堂を見つめていた。


「司祭方、龍下の安否は」

男のめぐらせる肩に隠れて、司祭のひとりが囁く。

「まだ連絡は取れていませんし、お目にかかってもいません」

「不在ということはありますまい。公邸にいらっしゃるはずでは?」






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