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リリィ 思いつくままに書きとめたささやかな覚書と一切の崩壊。無力な愛、ひとつの不幸、ただ愛を愛とだけ欲したある価値の概念  作者: 夜行(やこう)


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246 肉料理:----・------(38)

女たちが怖れから身を寄せ合う。裾を広げる人影が絡み合う窓の奥、右往左往する人よりも何も知らず立ち話に興じている客の姿が目立つ。別室で待機している従者たちが自分を探す頃合いだろうと雨を吸う外套を翻すと、庭を駆けて行こうとするディアリスの目端に何かが過ぎった。


動くものはない。けれどこの場から離れてはならないという強い動悸が胸をついた。手が震えている。もう一方の手を握りこむと卑しくまとわりつく汗が耐え難く思えた。


(何に緊張している?―――なんだというのだ、この気持ち悪さは)


怖ろしい音を立てて裂けた尖塔から細かい破片が落ち続けている。さきほど見上げた小さな格子窓の場所はもうわからなくなっていた。頭部のもげた塔は火を噴き上げている。「貴方も避難を!」と誰かが叫んだ。声の向きからしてディアリスに言っていたが、意思はなおも妨げられて返事をしかねた。


庭を今一度見渡すと、屋根に跳弾した瓦礫によって彫像が大破しているのが目に留まる。細かい飾りの彫られた台座だけが残り、そばの一重咲きの花群れに、粉々になった腕や背の半分が転がっている。それでもまだディアリスの胸に不安がのしかかる。視線を滑らせると、薙ぎ払われた草木の中に真っ黒い足が見えた。それは汚れた人の生足だが、彫像だと錯覚した。人だと思えないほど"焼け焦げていた"からだ。


ディアリスは飛び出した。花壇の中に踏み込み、白粉が膏薬のように張り付く黒い体を起こす。およそ今生の不幸が形をなして、少女の皮膚を抉り取っていた。胸乳は裂けて、鮮やかな肉の間から骨が露わになっている。横たえると、内側から次々に血が湧き出て、死体を見慣れているディアリスでさえ何から手をつけるべきかわからない。勢いをつけ自分の頬を叩き、術を唱える。まだ呼吸はあった。だがこれで"生きている"といえるかわからない。


純白を踏みにじられた衣から伸びる赤い膝、艶のある髪、赤黒く変色した皮膚のほかはあらゆる一片まで愛し抜かれてきたであろう無垢な体が、雷に貫かれて肉片と成り果てている。焼けた喉がかすかに上下し、狭まった瞼の隙間から水滴がこぼれ落ちた。少女は治癒を施すディアリスの腕を掴もうとするも、肘から先がないことに気がつかない。額に散乱する髪を避けると、こめかみが痙攣して応えた。まだ"生きようとしている"――――。


「術をかけている……楽になるはずだ」


少女は焦点の定まらぬ目で、胸苦しくなるほどの罪苦を漏らし始めた。


「……お、………ゆ、るし……くださ……ぃ」


ただそれだけを絞り出して突然顔を背けると、勢いよく血を吐き出した。雨に濡れた石畳により暗い血が飛び散る。喉が塞がれぬように抱え上げて、唾液の混じった粘性の血を吐ききらせる。いくら動くなと言っても少女の首筋は強張り、何かを必死に伝えようともがく。幼い顔がディアリスの方を向いた。


「おと、う さま………おに………さま、お発ちになって……わたし……どうしても……ああ、……そばに……?」

「ここにいる……ここにいる。ゆっくり……」


そう答えるほかなかった。彼女の目は血が混じりディアリスを捉えることができない。


「……そばにきて、おねがい………」


ディアリスは本能的に彼女を抱きしめていた。頬が美しく膨らみ、少女はすぼめた唇から熱い吐息をはきだした。熱い体を手繰り寄せても、彼女は寒いと繰り返すばかりだ。この腕に"死"そのものを抱いている。そういう実感があった。ディアリスの理力は彼女の中に沁みこむが、意味はない。


既に広間は騒がしく「火事だ、避難を!」と連呼している。暗闇の中でうずくまる二人に気づくものはいない。

続いて大きな爆発がおこった。庭からは遠く、地響きだけが伝わる。


「おにいさま……におい……、……もえているわ………」

「………大丈夫だ。もうすぐ消える。ほら、もう消えた」

「あぁ……よかった……」


ディアリスの衣は彼女の血と雨を吸って赤黒く染まっていく。頭に添えた指を少しでも動かせば、緩くなった頭蓋骨もともに動いた。意識があることは神の最後の慈悲なのだ。ディアリスは変色した唇に耳を寄せる。彼女はまだ兄を呼び続けている。


「……ここにいる。何か言ってくれ」

「おにいさま……? ………連れていって……どこでも、いいの……」

「……わかった。連れていく」

「……あぁ、………ゆるして……わたし、じぶんからとんだの……ゆるして……」


ディアリスはその言葉に顔を上げた。目は薄暗い闇に埋め尽くされている。


「―――どうして自分から飛んだ。教えてくれ」






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