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リリィ 思いつくままに書きとめたささやかな覚書と一切の崩壊。無力な愛、ひとつの不幸、ただ愛を愛とだけ欲したある価値の概念  作者: 夜行(やこう)


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236 肉料理:----・------(28)

それから全ての会議を終えて執務室に帰ると、「何か奏でましょうか」と平坦な声で秘書官が言う。多くの文字を流しこまれた濃厚な空気には似つかわしくない言葉だが、重くなった瞼も喋りつかれた口も自然と綻んだ。彼なりの揶揄いなのだ。「今度ゆっくり時間を取ろう」と執務机に巻紙の束を置きながら答える。髪の乱れを直しながら扉の向こうに合図を送ると、控えていた人事部の数名が紙束を抱えて入ってきた。今日最後の打ち合わせに臨む。


「次に式典の警備についてです。中央広場、大聖堂、あるいは他の場所で騒動が起きる可能性を想定し、新たな警備隊を発足しました。警備隊を各所に配置、大主教の警護には執行官十二名が就きます」

「こちらが隊員の名簿です。素行、検疫、財産などの監査も済んでおります」

「今回の儀礼順位では一位から五位までは帯剣する決まりだが、警備隊の装備はどんなものを」

「通常の理術装備一式に加え、帯剣の許可を出しております。ですが儀式用の細剣ですので、一朝有事の際を除き理術の使用が優先されます。執行部は通常通り外套の内側に長短二種を帯剣。こちらは抜剣の許可が出ていますので、当日は閣下の身は必ず守られるものと存じます。そのほか、前回の就任式の警備体制や配置を概ね踏襲する予定です。前回の式典での不備、改善点などは後日意見会が設けられ、いくつもの意見が出されました。その記録にも全員目を通し、補足や修正をしております」

「理解した。君達を信用している。あとは費用だが……これは?」

「こちらは閣下がご乗車される儀礼馬車の修繕計画でございます」

「馬車を修復する計画があるとは聞いていたが……装飾がとても豪華で、修繕というより新造に近そうだ」

「はい、式に相応しい荘厳さかと。後方には騎乗御者が三名。前後には各教区の司祭、祭司侍従が騎馬にて付き従います」

「……既存の馬車をそのまま使用すればいいとも思うが、正直なところ劣化も感じている。階段はたわんでいるし、座面はぎしぎし音が鳴るんだ。大分使いこまれているように思うが、製造は前大主教の就任時かな?」

「推察通りです。大主教の意向、いえ、"前"大主教の意向で、これまで修繕しつつ使用して参りましたが経年劣化が激しく、式典に合わせて最大の修繕計画を立てました。式典中の事故を防ぐためにも必要な措置かと存じます。費用は市民からの寄付を()てております。苦境を凌ぐことも重要だが新しい大主教の誕生を必ず盛り立てて欲しいと、そういった嘆願を受けての運用です」

「同じく大聖堂の修復と改築費用の一部も、寄付金から補填しています」

「…………頭が上がらないな……本来であれば、こういった式典などの類いは延期するべきなのだと思う。しかし敢えていま祭事を行う事に意味を見出す者もいるのだろう。華美に見える修繕も必要な事だとは、なかなかに言い辛いが……しかしここまで豪華な馬車だとまるで婚礼のようで気恥ずかしいな……そう思わないか?」


「誰か一緒に乗ってくれないか」と冗談を言いながら顔を上げると、待ちこがれた笑顔はなく、思いつめたような、青褪めたような顔が並ぶ。何故とも知れず首をかしげると、一番遠くに腰かけていた男が「閣下」と意を決して前のめりになった。議場ではないため発言を承認する必要はないが、今日散々指名してきた癖で、相手の名前を言いそうになる。代わりに微笑で先を促すと、男は嚥下して口を開いた。


「閣下は、ごけっこ」


ん゛ッ―――と、言い切らぬうちに細面を歪めた男は、下唇を噛んで痛みに耐える。


「どうした、どこかぶつけたか? 机が跳ねた気がするが……」

「いえ、なんでもございません! 差し出口でございました」

「それは、どういう」意味かと問う前に、横に控えていた秘書官が言った。

「……閣下、質問がなければ今日はもう散会でよろしいかと」


見回すと頷きが全員から返される。何か言いかけた彼を放っておくことは何となく気に掛かったが、時計の針が頂点を過ぎていたため区切りをつける。


「報告書の作成感謝する。遅くまでありがとう。復興計画と就任式の同時進行で忙しいと思うが、自分を労わりつつ、周りも気に掛けて、全員で乗り切っていこう」


どの座席からも気持ちのいい返事がある。全員の顔を眺めていると、一瞬気を緩めて隙間の空いた頭に忘れていた教務が注ぎ込まれた。私の頭はまだ働こうとしているらしい。


(そうだな、各教区の司祭に手紙を出して彼らも慰労をせねば……世話になった教会も葬式のあと、しばらく顔を出せていない。私は本当に恩知らずな男だ)


今日のような小さな会合をしていた頃は、教務に溢れるというようなことはなかった。適度に働き、適度に休み、適度に誰かを救えた。自分には丁度良かった司祭職の懐かしさを味わっているうちに、手元に広げていた巻紙は秘書官が既に片付けていた。


「では、ディアリス・ヴァンダールの名の下に議定書の締結を承認する。これにて散会。おやすみ」

「おやすみなさいませ、大主教閣下」




「――――もしかして、結婚と言いたかったのか」






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