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23 困窮と高鳴りと、

少女の住んでいた村では一節に一度、労働者にとっての祝日があった。

陽の日と呼ばれるその日は丸一日休みとなるため、人々は朝から遊びや気晴らしに興じる。とはいっても村に大した娯楽があるはずもなく、もっぱら自家醸造の蒸留酒ができたばかりの家に集い、少額の貨幣を渡して飲み明かすのだという。


酒が入った大人たちがすることといえば、喧嘩や事故の暴力沙汰である。取っ組み合いが始まり、待ってましたと喜び勇んだ男達が騒ぎを更に大きくする。暴力は一番の見せ物だった。

日頃の疲れや鬱憤を発散するためにくだらないことで胸倉を掴み、拳を交えた。女子供は遅くまで帰ってこない夫をよそに眠りにつき、しばしの安寧を過ごす。


夜更け、少女と弟が眠っている。遠く、豚の鳴き声が変わったことに少女は気づいて目を覚ました。父が帰ってきたのだ。意識がまどろみの中に浮かび上がる。段々と大きくなる足音は少女のすぐそばで止まった。耳に掛かる吐息、酒の匂い。背中に父親の視線を感じ、寝返りをうとうとしたが次に見たのは足首を掴まれ、つるし上げられる自分の下半身だった。両脚を掴む手を見ながら、なんでも吊るすのが好きなのだなと瞼を閉じた。


別の村では畑に集い、畝を作る速度を競い合うところもあるらしい。それじゃあ働いているのと変わらないというと笑われた。他にはと訊くと、墓地で死者の苦しみが解放されるように祈る、鶏を戦わせる闘鶏という娯楽があることも教えてもらった。陽の日といっても土地によって思い浮かべるものが違うのだと、ルクレチアは楽しそうに目を細める。ルクレチアの村では何をしたのか聞きそびれたが、別れ際彼女は「またお話ししましょうね」と言ったことを思い出し、次の機会にきくことにした。


最初の日、自分を新しい家族だと言った彼女は言葉だけではなく、行動でそれを示し続けた。薄汚れ醜悪な臭いのする面々を癒し、磨き、食事を与え、ひとりひとりと向き合い、呼吸する術を説いた。ずたぼろの穴の開いた麻袋を一針一針縫うような根気と丁寧さで、彼女は穏やかに誰の心も溶かしていった。


寝る所と食事を与えられて数日経つと、体に染みついていた豚の臭いが落ちていることに気づく。朝、泣き声が響いた。豚の鳴き声かと思い、ぱちりと目を覚ました少女は向かいの寝床で男の子が泣いているのを見つけた。近づくと懐かしい臭いが鼻につく。色の変わった寝床を見て、あぁ、と少女は察する。男の子の泣き声は豚よりも大きく、朝を告げる鐘よりも響いた。


豚の鳴き声に比べればどうでもよかった、けれど近くの部屋でルクレチアが眠っている。彼女の眠りを妨げるのかと思うと不快を感じて顔を顰めた少女は、男の子の口に手を伸ばした。ただ塞げばいい。


「…セラ」


ルクレチアの手が少女の手に覆いかぶさっていた。後ろから抱きすくめられて、少女の手がルクレチアによって下ろされる。


「服の中の手も…………ね、セラ」


驚いて上衣の中に忍ばせていた手は勝手に落ちた。

耳の直ぐうえでルクレチアが微笑みを作った気がした。


「いい子ね」


ルクレチアは少女を放すと頭をひと撫でして、少年に近づく。寝床の上で泣き続ける少年はルクレチアを見て余計泣き始めた。かまって欲しいのだ。セラは苛立った。


ルクレチアは少年を抱きしめ、その耳元で何かを囁いた。泣き声がぴたりとやみ、少年の手がルクレチアの背中にまわる。

小さな手が服と髪を一緒くたに掴む。ルクレチアの編み込まれたきれいな髪が頭皮ごと引っ張られていた。痛むだろうに優しい声だけが響く。


セラは二人を見ながら自分の腹に手を当てていた。

服の上からでも手には鞘の形が伝わる。肌に直接巻いた帯、くくりつけていた刃物ごしに自分の鼓動を感じた。

セラは自分の胸が高鳴っていることに気づいた。豚を殺す方法を教えてもらった日も、父と自分の重さで沈んだ寝床にいた夜も、一切動かなかった心臓がうるさいくらいに存在を告げている。セラはルクレチアの背中をじっと見つめていた。


その日の朝食後、広間に集った面々を前に彼女はいつもの笑顔でこれからについて話し始めた。貴方たちにやって欲しいことがあるの。そう言ったルクレチアを前に、ごくり、誰かが唾を飲み込む。


「ほうし、かつどう?」


寝床も食事も安全も与えるかわりに―――教会の活動に従事してほしい。彼女が言ったのはそれだけだった。

面々は呆気にとられる。言葉の意味がわかっていない者も、わかった者も、どちらも真に飲み込めた者はいない。

ルクレチアにとってこんな光景は見慣れたものなのかも知れない。彼女は勢いよく手を胸の前で叩く。


「じゃあさっそくお仕事の話をするわね。今節の陽の日が近いの。その日はこの教会にたくさんの人がやってきて、食べ物を配るの。みんなに手伝ってもらいたいのは、その準備と当日のお手伝い。たくさんの人が入ることができるように椅子や机を移動したり、料理の下拵えをしたり、あとは当日、器に食べ物をよそったり、一番大事なのは慌てて転んだだれかの手をとってあげること」


ぽつりと誰かが「ルクレチアみたいに?」と言った。「ルクレチアさん、でしょ!」と訂正する声があがる。「いたいっ!」小突かれてたようだ。

ルクレチアは輪の中に入ると、小突いた子の手をさすり、叩かれた子の頭を抱きしめた。






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