227 肉料理:----・------(19)
すでに深夜で、夜鳥の声も帰り始めていた。森の奥に入っていく私に草むらをかき分けるさざめきは聴こえない。聖霊も白狼も湖畔に立ったまま、他人を装って振り向かない。私達の夜は一時重なったが、高みに達する波のようにいつか必ず崩れ去る。
足腰にきつく残る疲れを押して、一歩また一歩と湖沼から離れていく。これからどこへ行くにしても、最後の場所はここから離れていればいるほど良かった。
しきたりを破った者は規律に従い、集落から放逐され二度と足を踏み入れることは許されない。隠れ月の夜に出歩けば、村で崇める穀物神の力が薄れてしまうからだ。小さな集落では多くが耕種農業に携わり、豊かに穣るかの成否は生命に結びついている。悪魔が跋扈する隠れ月の夜に戸口を開けてしまえば、危険を内に取り込むことになり、集落は徐々に荒廃し最後には死を免れないと信じられている。何百年と多くの人が守り通してきたものを、私は私の業のために破った。ゆえに当然ながら、私は殺されなければならず、夜明けと共に住居に火が放たれるだろう。
私はつくづく他者に犠牲を強いなければ生きていけない愚か者だ。
「覚悟はあるか」
背中に掛けられた声に足を止める。何の覚悟かと考えてから、ふと空を仰いだ。降り注ぐ星々の煌めきは豪奢で、暗い森の中で闇に紛れる私は余りにも物寂しく、みすぼらしかった。
棺にありったけの花と彼女たちの屍を並べたとき、私は私の「木箱」を捨てた。
四隅がみえなくなるまで宝玉を集め、木箱を埋めることに喜びを見出していた時間が無意味に感じられた。そんな事をしていた自分に嫌悪を感じ、極彩色の宝玉は一気に色褪せて見えた。いや、宝玉を集めたことも輝きを見出したことも間違ってはいない。実った成果は一人で成したわけではない。共に成した彼らの善意は本当のもので、彼らにとっては美しいままなのだ。色褪せたのは私自身だ。私は私だけの世界にのめり込み、彼女を見ようともしなかった。それが彼女を追いこんでしまった。私が愚かだったのだ。
色褪せた私にただ、ただ残るのは……、私の嘘に自分のすべてを打ちこんで、耐えきって、痩せこけた頬を震わせて笑った彼女だけだ。勝手だろう。彼女を無力にしておいて、美しさだけを心に切り取ろうというのだ。最後の微笑みがどれほどの苦しみを抱いていたかはかり知れないというのに。彼女の真意をもう知ることができないというのに、私は最後に彼女を胸に抱こうというのだ。
石のように沈黙する日々の裏で、彼女は押し殺した心を家中に散り敷いていた。私はその上を我が物顔で居座っていた。今更謝ることに何の意味もない。今更過ちに気づいて何の意味もない。私には先があり、彼女たちはもう居ない。私は、ただ死という選択しかない。
「……生きたまま終わらせるには死ぬこと以外にない。それが覚悟というならそうだ」
「……生きたまま、終わらせる………?」
妙に歯切れの悪い言い方だった。どうとは言えないが、木々をざわめかせる風が彼の方から吹いてくる。私は自分の昂りを整え、風の止んだ水面のごとく凪いだ気持ちでいた。繁雑に考えることがなくなり、ただ死を選ぶだけということが、私の耳を激しくついてきていた他者からの痛罵や私自身からの痛罵を遠ざけた。ここから先は死の道中であるが、端から誰も道連れにする気はなかった。けれど気まぐれに彼をそのままにしておくことも憚られた。
「……思い違いかも知れないが。私をこのまま行かせることに罪悪を感じているなら、無用だ」
「………? なんの。違う。たわけ。避けて通れぬ定めと知っておるわ。蹴散らした獣と同じく、お前が消えても何の事もない。事もないのだ」
「うん、良かった」
頷く私に聖霊は妙な顔で睨みつけてくる。理由があるのだろうが、わかりかねた。
「どこへでも行けと、言っておる」
閉じた扇で空を何度も切られる。気に喰わぬ者を激しく押し返すような気の強さがある。私が仕草に答えようとすると、先に動くものがあった。長い尻尾が大きく揺れた。
白狼は淡い紅色の舌を垂らしながら寄ってくると、私を通り越し、さっさと闇の中へ進んだ。どこへでも行けというのは私ではなく彼への別れだったかと、ただ眺めていると、茂みの手前で振り返る。聖霊がなかなか動かないのを見ると、気楽そうに足を折って横たわった。しきりに首をまわして茂みの向こうに急かそうとするが、しまいには目を細くして、くありと欠伸をして眠り始めてしまった。
「早く行け」と後ろから声がする。忌々し気な声だった。ややあって私はその意味に気づいた。途端に言葉にもならないつぶやきが漏れ出た。
「私を待っているのか?」
「気に入られて嬉しくてたまらんか。皮肉か?」
「いや……まさか」
すかさず可笑し気に揶揄われ、今度は私が顔を逸らした。




