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リリィ 思いつくままに書きとめたささやかな覚書と一切の崩壊。無力な愛、ひとつの不幸、ただ愛を愛とだけ欲したある価値の概念  作者: 夜行(やこう)


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224 肉料理:----・------(16)

「逃げたいのなら森の外まで送ってやれる……荷は置いてゆけ。恨みもすまい」

「………」

「ふむ、今ので気を悪くするか……余程大切な魂なのだな……許せ」


今さら異な事を口にする聖霊に私は苛立った。


「そう睨むな。逃げぬならお前はここで死ぬ。それゆえ、このままでは夢見が悪い。謝ったのはその為よ。地響きを感じ取れるか。グリーズの群れが近づいて来ておる。巣穴は遠いが、日が悪い。今日のような日、ダルトニア国の西方ローゼンハーヴェイでは一人の男を縛って荷馬車で運ぶ。一番幹の太い樹木に縛り付けて殻竿で叩くのだ。収穫期の締め括りに行われる収獲を言祝ぐ儀式だ。こちらでいう、刈り束の最後の一つを母親に捧げる風習"リュエステス"に相当する。他にも類似する儀式は各地で執り行われるが、殆どが今日のような隠れ月の日に限られる。そして、どの地方でも共通して、儀式のあとは戸口を締め、決して出歩かない」


―――今宵の隠れ月の夜に出歩くものなどいないのだと、愚行を咎められている。

私とてその習わしを忘れ果てているわけではない。強調すれば、渥地までの道は頭の中に敷くまでもなく慣れた道だ。暗闇を怖れるほど幼稚でもなく、日が照っていれば行商が歩く道だ。

獣避けもして、私なりの理由があってそうした。時間がかかることも、無謀であることも確かだ。おそらく聖霊にとって、私は悪魔の手を取ろうとしている愚か者に見えているのだろう。私とて破滅的だと自覚している。


「夜が誰の時間であるか弁えなかったのは何故だ」

「…………」

「訳があるという顔をしている」

「……話す道理がない」

「道理、ははっ。うそぶくな。黙りとおす務めがあるのはわかるが、それでは渥地につくまでに獣の肚の中よ。押し通すにはお前は弱い」

「やらねばならない事がある。それさえ終われば命のことはどうでもよい」

「そうか、そうか。ならば手を貸してやろう」


みるみる顔を歪める私に、聖霊は―――いや、男は扇を開いて微笑する顔を隠した。目元だけが鱗文様の上に乗り、目尻がきゅっと垂れた。

この世の物事などすべて見透かしているというような目だった。この者は一体何なのか、そういった疑問が私の中で完全な形としてできあがる。


「狩りをしたことはあるか」

「…………あるとも」

「その程度の理力では高が知れる。まぁ……多少胆力はありそうだが……これより知り得ざる者どもが多く来る。物に怯えて泣かぬとよいな、童よ」


侮蔑が多分に含まれる声色を背中に流し、私は短剣を構え、さらに詠唱を重ねた。


この時の私はまだ若く、愚かだった。

物事の中心は常に自分で、興味を持つことだけを新鮮に感じ、それ以外は見ようともしなかった。青年期に心の構築を怠った者の典型的な失敗―――誰しも通る道であると多くの人は言うが、それは失敗の影響を被らないからいえること。私は……。

愚かだったという一語の中に収めきれぬ刃物を抱え、知らず振り回しながら生きていた。だからあの夜が、私の最期の日だった。


もう一つ白状しよう。私は道を間違えば一切無になるような事柄には決して手を出さず、そのくせ人には利潤と損失でできた橋を渡らせる小狡い男だった。言い回しからもそれがわかるだろう。それが私のよく使う手で、一番使いやすい手だった。思い返せば、当時の私は既に教職者として務めていたが、祈りよりも商いを好んでいた。教務の一環で商人と関わる時間が長かったこともあるが、元よりそうした気質が合っていたのだ。取引を円滑に進行させるために流通の拠点を整備したり、市壁内に居住する各商との価格体系の取り決めなど、彼らの独自の計算や物事の組み立て方にはとても好感を持っていた。


私は自分の人生を楽しむことに夢中になっていた。自分という美しい木箱の中に、色とりどりの宝玉をつめて眺めた。輝きのひとつひとつは自分のたゆまぬ努力で出来上がっていると疑わなかった。

この木箱を蓋もできぬほどに溢れさせればどうなるだろう。鼻を膨らませて期待をする。そうしてさらに思い違いを深めた。自分が生まれたのは、新しい物を取りこんだり、人を上手く使って利益を得ることで、美しい宝玉を集めていく為なのではないか。定めのように思ったのだ。


私は私の明日を信じていた。私の言葉には明日を信じさせる力があると思った。


私は無我夢中で理術を放った。連携を取り狩猟をする知能の高いグリーズと、頭上から滑空してくるヴィヴラスの対処で私の脳は過剰に発熱し、一つ予測を間違えば、生きたまま引き裂かれて捕食される定めを必死に拒もうとした。


前後から挟み込んでくる二頭を鎖術でつなぎ、短剣を脊椎に突き刺す。木の裏をまわると、腹這いになってじりじりと距離を詰めてくるグリーズと睨みあう。今にも野太い唸り声をあげて、餌に食らいつきそうだった。剛毛に覆われた筋肉がうねるのがはっきりと見えた。短剣では硬い筋肉を深く傷つけることはできず、握力を保つことの方が難しい。






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