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リリィ 思いつくままに書きとめたささやかな覚書と一切の崩壊。無力な愛、ひとつの不幸、ただ愛を愛とだけ欲したある価値の概念  作者: 夜行(やこう)


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223 肉料理:----・------(15)

私の短剣は棺を傷つける前にようやく止まった。当たるまいと強く願ったからか、動作がそこで終いだったのかはわからない。汗が首を伝う。柄に張り付く手と屈んだ腰はそのまま、打ち下ろしていたらそうなったであろう姿勢で固まる。


膝を片方沈めて、首だけを真上に反らしている。意識すると身悶えて、体を掻きむしりたくなった。おぞましさが全身を襲う。自分の体を好き勝手にされる窮屈さと絶望は、心を挫折させるに充分だった。しかし私の心にあったのは、細面の男に手も足もだすことができない屈辱ではなく、今日という日に棺を引いている、その事実だった。私は辿り着かねばならない。得体の知れぬものに遭遇し、弄されても、私は完了させなければならない。その思いが何度でも「今」に立ち返らせた。


「"―――"と、"―――――"の間を見ておれ」

「なんと?」


聞いたことのない言葉が耳を通り過ぎる。思わず出た本音だったが、声が出るようになっている事に再度驚く。急いで自分の手を見るが、動けるのは顔だけらしい。舌打ちが出る。


「ん。星の名だが……今はそう呼んでおらんのか? ……まさか"星"はわかるか? 空に浮かんでいる美しい光のことよ。あの"―――"と、三つ並んでいる"―――"、……わからんか、なら"―――――"………いや、もっと新しい呼び名……これは異なる国の呼び名だったか? といわれてもな……待て、並べる間に通り過ぎてしまう。向き合うハファルとミルファスの涙の間を……空の中心を見ていればよい」


今度は理解できた。旅人が導に使う星の名前だ。一際光るその間を、黒い物体が素早く通り過ぎる。鳥だ。怪鳥という方が馴染みがある。


「ヴィヴラスという鳥獣だ。上空で帆翔する姿を捉えたか。翼の形まで良く見えただろう。彼らは目と耳を使って獲物を探し、ここぞという時に高所から急降下する。しかし稀に別の方法で狩ることもあるのだ」


視界の真ん中に何かがある。それはみるみる内に大きくなる。何が―――私は考えることもできなかった。今すぐにその場を去らねば死んでしまうこともわからずに。

大岩が私目掛けて落下していると気づいた時には互いの距離はないに等しかった。体が硬直させられているかは関係なく、障壁術を叫ぶ。発動が遅れれば命はない。目を瞑った瞬間、ごうと猛烈な風が全身を擦過し、顔に満遍なく砂がかかった。獰猛なグリーズから不可避の一撃をもらう瞬間のように、拒もうとする小物を無理やりになぎ倒すちからを浴びる。


血の滾る音を聴く。これは鼓動だ。


「……獲物に岩を落として潰すのだ。正確で夜目も効く。天の鉄槌とはまさにこのこと」

「はッ…! あ、ッ!」

「見事」


鼻先で止まった岩石は私の視界を圧迫したまま浮かんでいる。成功した。間に合ったのだ。顔をわなわなと震わせると鼻が岩肌を擦る。ざりとした音が肌から体に沁みて、汗がどっと噴き出る。男は私が助かるのも、死ぬのもどうでもいいという風情だった。

首にどろりと粘液が伝う。血が砂まみれの肌に赤い筋を引く。食いしばった唇が切れたのだ。


「また血を……お前は学習をせぬ。ヴィヴラスなど小物。血の臭いに魅かれて大物がそばまで来ておる。まさか好んで寄せ集めたわけではあるまい」


聖霊がまた指を弾き、二度目の乾音が響く。挙動を許された体は一気に弛緩し、短剣を避け、棺に覆いかかるようにして倒れた。唾液ともども気色悪さを吐き出すと、真上にあった丸い影が遠のく。草生の上にごとりと転がった岩は、人の力では持ち上げることなどできない大きさだった。鳥獣はこれを掴んで飛んだというのか。表面に鉤爪の痕がくっきりと刻まれている。


「その衣、お前は龍を信ずる者なのだろう? 骸を引いてどこへ向かっていた」


―――龍を信ずる者、教職者を呼ぶ古い呼称だ。今では使う者は余りなく、曾祖父母が家訓を諳んじる時によく口にしていた。


「…………あ、……渥地(あくち)

「ふん? 泥海に沈めれば魂が還ると思うておるのか。そういう習いがあると聞いたことがある。近くに集落があるな。そこの者か……なに、そう強張るな。煮て食う趣味があればお前などとっくに散り散りになっておるわ……しかし」


頷くと聖霊は腑に落ちないというように片眉だけをつり上げた。習い、と音もなく呟く。私を検分したあと、少し唇を突きだした。


「まぁ良い。先にお前の始末をつけるとしよう」


その時ようやく、聖霊の目が私の背後を警戒しているのだと理解した。気づけば、暗闇の奥は獣の息遣いで溢れていた。






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