220 肉料理:----・------(12)
『…………お前ならば救えるというのか、デクラン・マッケナ!』
『そのように血を滾らせないでください。まずもって反発の原因を調べなければ何も言えません』
『来い! やってみせろ!』
『御冗談を。先に大主教を解放してください。それが常識というものです』
『……ッ、ならばシュナフは下がれ! 大主教以外を部屋から押し出すのだ! 閣下は我々がお救いする!!』
『まだわからないのか! お前たちはどれほど滑稽な様を晒せば気が済む! 龍下を救いたいのだろう!? 私達には何も差異が無かろうに!』
―――身を岩に叩きつけるかのごとく叫んだ大男の言葉が、私の体にぶつかって頭に入った。蹴散らして飛び上がる男達の向こう、孤立する私に狼が鳴く。
(いま、なんといった?―――狼?)
『龍下は私達のために戦ってくださったのです、私達をお守りくださった。ヴァンダール大主教の心にあったのは龍下に取って代わろうとする野心だったのですよ!! 龍下は私達を誰よりわかってくださる! 今度は私達が龍下をお救いしなければならない!!』
『救わなくては、救わなくては、救わなくては』
―――視界が薄暗くなる。方方から生まれる叫び声は誰の中へも入りこまない。自分の心を慰めるために他者を押しのけ、生き方に同調してくれるものを待っている。そのような者達が生み出した波頭はあっけなく崩れ去る。人の所業の何と空しいことか。そうだ、生はいつも空しい。そんな事はわかっている。
天使の体は黒ずみ、みるみるうちに暗雲に巻かれた。首から上だけがあらわれる絵巻を見ているうち、みな凄まじい形相で私を見下ろしているのだとわかった。浮かび上がる恐怖が天使の仮面を剥がして、彼らの本当の容貌と首筋の差し色を教えた。祭服の襟に入った色は私の色ではない。どうしてアクエレイルの色なのだ。どうしてアクエレイルしかいないのだ。
(なぜ)
困惑が声にならない。今すぐ誰かを掴まえて問わねばならない。耳元でどくどくと滾るのは血の道が燃えているからだろうか。自分の体が動かない奇妙さは、私を破壊しようとする。
(見るな、そのような顔で私を見るな)
誰の目も避けることができず、その目は泣いているようにも、笑っているようにもみえた。進んで泥沼に入っていく愚かさが一つの術ばかりを繰り返す行為にみてとれる。しかしそれよりも滑稽なのは私だ。単純な動きひとつできず、自分を取り戻すことができない。
大男が必死に術をかける女の両肩を掴んで、荷を担ぐように軽々と後ろに飛ばした。はっきりとした決意をもって踏み込んできた男に鍛えることを知らない細い体は次々に散らされた。今度はシュナフの色を襟首につけた者達が前に立った。厳しい表情をして私の体を検分しているが、悲痛さはない。瞳はまだ光っていた。
『まずは受血を再開しましょう。昏睡状態ですが、心臓は動いている』
『仕切り直しだ。先程の指示を繰り返す。シェールは顔の傷、皮が剥がれて眼球が露出しているので圧力術で固定。リップが皮膚を縫い合わせる。グレゴリーは上肢、ウィンテールは下肢の火傷の冷却。エトマン、ブルーシュ、オランド、受血の管理を。私は頭蓋の損傷をみる』
『クレヴィア、緑式の吸理紙を。その後、青、赤、白の順です。先程の結果は取りきれていますか? あぁ、充分です。逃げ道がどこなのか、理力に案内をさせましょう』
『シュナフ様、マッケナ様、これを…!』
『服の下?……何かが皮膚に張り付いたまま炭化している。これは皮膚の下に………閣下、蜂の巣の欠片のようにみえます』
『………傷は深層まで届いていないのに、どうして体内に炭化した物体があるというのだ。内部を損傷させずに物を炭化させる……デクラン』
『鑷子と保存器を。採取しておきます……きっと……いえ、今は何も。続けましょう』
『……』
多くが気絶して床に倒れる。助け出された侍従たちは外に出され、熱気をまとっていた大男が扉の向こうにできた人垣と話を交わしている。異様な騒ぎは私から遠くなり、ひっそりと静まった感じさえした。
自分の体が触られている感覚は取り戻せないが、目は色を取り戻し、耳はまた獣の声を聞きとった。狼だ。孤狼の太い吠声が先程よりもずっと近くで聴こえた。天からの出迎えにしては力強い。私は自分が幻に逃避しているのではないかという気持ちになった。視界の中でひっきりなしに動く者たちは、懸命になっている。なれど誰も私を見ていない。私の体の奥にある、顔の向こうにある、私の心を誰も見据えていないのだ。どうして私を龍下と呼ぶ。私は龍下ではない。叫び出したい。気持ちが掻きたてられる。私は私だ。それをはっきりとした事で言い表せない。
私は私から離れていることが苦しくて仕方がないのだ。
 




