201 冷菓:聖女の余興(12)
「これは」客の一人が言った「これは正しいの?」
大主教はディオスを振り返った。彼は半壊した広間を見回し、衝撃を受けていた。椅子ごと転げて敷物の上に倒れた際に、打ちつけた背骨の感触と全身を過ぎ去った熱風を覚えている。あつい、と最後に思った。しかし体を見ればすべてが揃い、多少衣服の破れがある程度だった。辺りにはディオスと同じように最悪の目覚めを噛みしめている人だかりがある。隣にいたのはロライン大主教だったか、背中を向ける侍従たちの間から治癒術の光が見えた。怪我をしているのなら、自分もあの輪に加わるべきか考えながらディオスは外に視線を移した。
頭がぐらぐらと揺れている。吐き戻した臓物を飲み下したようなえぐみが喉奧にある。窓の向こうの夜を見て、ここで何をしていたのか、静かに思い出そうとした。それからまた部屋の中に視線を戻すと、惨状のひとつひとつが初めて見えてきた。
「私達は騙されていたの」
「そんな訳あるか」
「理由がおありになるの、当たり前でしょう」
「龍下は……」
「大丈夫だと思う。生きているきっと」
「そうでしょうとも」
次々と色々な言葉が音になる。
「ばかばかしい。からかっているだけだ」
「驚いた、頭がいいのね。あの光景をもう忘れたの?」
「濫觴の民……」
「なぁあんた俺は今死ななかったか? たった今死ななかったか?」
「もしも、貴方方が真に龍下を慕うというのなら、悪行を止めようではありませんか……共に」
一番大きな声をあげていたヴァンダール大主教はディオスを見ていた。
「ここに理力を見極められる学者がいます。真実を明かしてくれるでしょう」
寄ってきた大主教に「……何を、何の話をしているんですか?」と言ったディオスの頭は、まだ正常ではなかった。
「やあ、ディオスくん」
「ヴァンダール大主教……」
「ディアリスと。体調はどうかな、不快感があるだろう」
「え、あぁ、はい、とても………どうしてそんな顔をしているのですか?」
「そんなとは」
「嬉しそう」
「勿論。君に逢えてこれほど嬉しいことはないからだよ。手伝って欲しいことがある。君にしかできないことだ。今、私と龍下の理力を辿ることができるだろうか」
「はい」
「そばで見た方がいいかな。案内する。手を」
血の臭いがする中、壇上の端に歩み寄る。横たわっていたのは血塗れの龍下だった。「そんな……」怖くなって足が凍り付く。急いで重ねた手を引っ張るが大主教は自分を見ていない。「龍下が」と急いで付け加えても彼はただ「そうだね」と答えた。
「君の見立てを聞かせてくれ」
「龍下、私が見えますか。瞼が………私の声は聞こえていますか、あぁ……火傷と胸部にひどい傷が、気管に、待ってください」
ディオスは血だらけの手で腰帯に下げた袋を開いた。帯から外す時、震える指はいうことを聞くまで時間がかかった。大主教の右手が下りてきて、ディオスの手を擦った。
「まずは落ち着きなさい。理術ですぐに治せるから治療はしなくていい。動揺させてすまない。私は君の能力を見込んでいる。彼の理力を見てほしい。できるかな?」
「それが必要なのですか?」
「そうだ」
ディオスは当然気づくべきだったが、これは大主教と結ぶ取引なのだと考えた。理力を辿れば、大主教が治癒術を施してくれるのだと約束してくれたのだと思った。
目を閉じて鼻から肺の息をすべて吐き出すと、心臓の鼓動に意識を集中する。大地に寝そべっていた子供の頃のように、前屈みになって絨毯にぺたりと手をついた。石床の下には岩礁があり、好む土はほとんどないが、自分の感覚を外に押し広げる時に何かに触れることが重要だった。
ディオスが目を開けると、すぐに光を視認することができた。龍下の体内に残っている理力はわずかで、活発ではなかった。片や大主教の理力は光が強く、いつまでも頭に残った。
二人の理力は同じ色をしていた。厳密に識別するためにディオスは彼らに片手を添える。二人の理力の粒を動かし、取り込むことにより理力を直に感じるために。複数の理力を吸収すると、ディオスはまるで自分の体が複数の生地で縫い合わせられたように感じるが、(異なる理力が体内で反発し合い、体外に押し出そうと表層が刺激される。一般的には強弱があるが、拒絶反応が極度に強いディオスにとっては抱える痛痒であり、識別する手段のひとつとなっている)しかし共に訪れる吐き気や不快感は一向にやってこない。ディオスは自分の顔を何度も触って感触を確かめて、袖ぐりを引き寄せ、緊張状態にある目を覆った。そうしていると、瞼の裏にもう一つの同じ光があることに気づいた。
ディオスは初めてもつれあって倒れる二人に気づいた。青年は羽毛のような白布を抱いたまま動かない。白布の少女もまた彼にぴたりと折り重なったまま、二人はまるで墜落した一羽の鳥のようだった。
「あの子も……同じ理力を持っています」
「あの子とは、男と女どちらかな」
「そこにいる白い子羊のような」
「女だね。それで理力の識別はできたかな」
「できました。全員同じです。全員同じ色の理力をお持ちです」
「視覚的に判別をしているのかな?」
「そうです。ですが大主教は二色お持ちです。元々お持ちの理力以外に吹きこまれたものであると判ります。元々の色もわかります。ですが、龍下は一色、白布の…あの子も同じ色をしています」
「二人は全く同じ理力を持っているということかな?」
「私が視ることのできる光は偽り誤魔化すことはできません。それに、同じ色の理力を持つ人はいません。私が見てきた限りという事は言うまでもありませんが」
「では、龍下の理力のすべては彼女の理力だといえるかな?」
「理力が個人間を……いえ、そう視えます」
悪夢を誤魔化すためか儀礼的なやりとりをしているのはひどく滑稽に思われて、ディオスは言葉を継ぐことをやめた。大主教はまだ喋っていた。
「安心していい。龍下は教会そのものではない。信仰は失われることは無い」
「そうでしょうか。今はそう思えません」
「今はな」
大主教はディオスから離れてまた大声で何かを言った。理術による拡声が広間に響いている。
「さてお立会いの方々、答えは出たようです。人形遊びをしていた男の退位を要求します。そして新たな龍下の位継承まで、首長の空位を宣言しようではありませんか」




