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02 悪戯な指先と、

シャルルの足元にくたりと白衣が落ちた。

探求者たる証の薄絹を脱ぎ捨てたリーリートは、シャルルの上から退くと、もぞもぞと長椅子の上を這った。下りるなら靴を取りにいくべきかとシャルルは腰をあげかけたが、片手で制される。


リーリートはシャルルの隣でふくらはぎの上に尻を乗せて座ると、その白い指で男の膝を突つき始めた。袖の無い服から伸びる肉の乏しい腕が、つつく度に反動で震える。折れたらどうするんだ、案じるシャルルの太い眉がぴくりと動く。


攻撃性の欠片もない戯れの指先は反応を楽しむように繰り返された。

意図がわからず視線で問いかけるが、笑みだけ返される。


薄紅の爪先が触れる時だけ白くなる。動きを目で追っていると、何度目かでシャルルは意図を理解した。

組んでいた脚を戻して少し身を引く。長椅子の背にもたれかかって、体の前を広く開ける。どうぞお好きに、と首を傾げてやると、リーリートの瞳が妖しくしなった。彼女は仰向けに寝転ぶと、シャルルの膝の上にぽすんと頭を乗せた。いや正確にはとても硬いだろうから、そんな軽い音ではない。それでも下から覗き込んでくる喜色に満ちた目に、シャルルはつられて微笑んでいた。

くつりと笑う瞳の虹彩が煌めく。それだけで何もかも許してしまう。


目の前にいるのは他者の追随を許さぬその道の権威だが、今はただの女だった。聡明でときに怜悧な面を持つ彼女が連日の徹夜で蓄積された疲労と、気怠さ、そして業務にやっと区切りがついた高揚感のままに動いている。

この教授の瞳を乞い、戯れを興じる相手として切望している者は数知れない。けれど彼女はここにいて、その手がシャルルの首筋を撫でた。他に望むものはない夜だった。


「例えば何の話を聞きたい……急に言われると」

「困るんだろ」


リーリートは最初からそう答えるとわかっていたというように言葉をつなぐ。


そのまま眠ってしまうように頬に流れた髪を耳にかけ、頬を撫ぜるが「続けて?」と躱されてしまった。鼻歌でも歌いだしそうな横顔を見下ろしながら、待たれているのだと思い至る。


無意識に唇を舐めながら辺りを見渡したシャルルの目に、壁を埋め尽くす本と台座に散乱した本と、それよりも多い植物、そして彼女の面影が映った。

研究に没頭している姿、衣嚢に手を入れ思考している横顔、本を開いては重ねて積む背中、術式をまとう凛とした姿。ここは彼女の城そのものだ。

研究室は静まり返り、植物たちは演者が歌いだすのを心待ちにしている。けれど歌うなら彼女だ。シャルルは板張りの舞台に引っ張り出された気分だったが、とにかく口を動かすことにした。


「毎日一緒にいて、私が見ているのは君か、あるいは君が見ているものだけだ」


彼女は時には派手に、時には厳かに、誰も見たことのない理力術を創り上げる。どこかから話が漏れ、人が人を呼び、庭でおこなう実地試験には観客ができるほどだ。

研究所には数百人の在籍者がいるが、彼女が関わる人物は少ない。だから大抵の話題は彼女から生まれ、彼女に収束する。


するとリーリートはぱちりと瞼を開けると、不満の表情を浮かべた。


「正しくない。君が他研の子たちに人気なのは知ってるんだ。生薬、医療薬学、技術研も、触媒研でも……廊下や食堂でよく呼び止められているだろう。教授室でも君が話題にあがることも片手じゃ足りない。君は知らないだけで話題の中心だ」


自分を正しく認識できないのはお互いさまだと思った。彼女の視点でのシャルル・ヴァロワはそうなのかも知れないが、怖れる者ばかりで人気になった覚えはひとつもなかった。シャルルの尾は無意識のうちに反り返った。


「私に声を掛けてくる者は開口一番に君の名前を出す、業務の進捗確認や個人情報の問い合わせばかりだよ」

だから暗に自分に興味を持つ者などいない。そう答えたが、余計な一言が含まれていたことに後から気づく。

「……個人情報と言った? 例えば」


後悔が舌先に広がった。

口を滑らせた自分に苛立っても遅い。リーリートは回答を待っている。

誤魔化してしまうか逡巡したが、彼女に嘘をついても無意味だと知っている。既に眉間に一瞬寄せた皺を目敏く見られてしまっている。機嫌を整えるように細い指が伸びてきて、唇をなぞられる。指先が「教えて」と言っている。深いため息が肺の底から漏れ出た。

シャルルは降伏を選んだ。






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