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リリィ 思いつくままに書きとめたささやかな覚書と一切の崩壊。無力な愛、ひとつの不幸、ただ愛を愛とだけ欲したある価値の概念  作者: 夜行(やこう)


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193 冷菓:聖女の余興(4)

「君が思考のままに行動すれば、周囲の人々は影響を受ける。彼女の存在は私個人の内部の話に過ぎない」


ありふれた主張だと思った。国を統べる男でありながら、彼の顔には博愛主義と境界を画した女への依存がはっきりと表れていた。滑稽と断じる前にヴァンダールは目を細めて男を見据える。眼前の老躯は彼女の魂が自分のものであると信じて疑っていないようだった。子孫に向けた執着にしては度が過ぎている。傷つき慌てふためいているのを必死に隠している、その虚勢の出処は真実存在するものなのか。あの娘がそれほど刺激的で興味深いものであることは疑いようがない。しかしかくも服毒を望むように理性を欠こうとしているのか理解できない。玩具を取り上げられた子供と見るべきか、彼の心の中に増幅する危険信号が、実際に身体の中で何かを起こっているとみるか。言い当てるにしても視覚入力以外の手段がない。


龍下の他に、三人の大主教も耳をそばだてていることに気づいていた。彼らの中にある龍下や自分への評価尺度は今夜をもって崩壊することを考えると、明日以降の手回しが更に楽しみになる。


「私がもっとも意外なのは、濃密に"人"を愛し、接する貴方が、進化というただ一つの単純な願いを求めないことです」

「彼女の存在が進化を促すという主張は行き過ぎている。彼女は我々と何もかもが異なるが、その相違が果たす役割に関しては議論の余地がある。彼女を知らしめることを、私は永久に望まない」

「これほどの理力、文化に果たす役割が計り知れないことに疑いはない筈です。私を懐疑家と判断して権利を主張する前に、相応の妥当性を説明してください」

「………君は彼女を知っているのか?」

「私は何を知っていればいいのですか?」


龍下は逃げるように視線を彷徨わせ肩向こうの彼女に助けを求めた。彼女はまだ観衆の方を向いて、ぼんやりと立っている。いかにも正気を喪った様子で何も正視することができないでいる。観衆は水龍をつくりあげた彼女を有難がり、祈っている。さほど時間は稼げないだろうと、彼らの瞳の中をうめる仮初の光を眺めた。


「君には彼女は必要ない……」


ぽつりと呟く男のなんと物寂しいことよ。意見を合わせるつもりはないのだと悟り、ディアリス・ヴァンダールは興奮のやり場に困り果てた顔で笑った。


「私もそう思っていましたよ」


――――ディアリスは祭服の裏から短剣をとりだした。

ほとんど手の甲で隠れる小さな刃物だった。手元は見ずに彼女の腕を引くと、段差を一段あがる時に、彼女は少しよろめいた。構わずに衣裳ごと後ろから掻き抱くと、指の腹は重ね着の奥にある女の体を如実に感じ取った。押しこめば美しい粒子のかたまりは、水底から湧く泡のようにディアリスの指を押し返してくる。


頭頂に顎を押し付けて、腕の中におさまった体をきつく愛撫する。そのまま刃先を真横にして背中に沈めた。貫くべき場所は定めてある。一刺しで仕留めるために躊躇わずに押しつける。

彼女は絶頂に至るように反り返った。踵があがり、口が開く。けれど加虐による絶叫は零れなかった。女には痛覚がない。切り捨てたという方がいいだろう。これまで幾度も命を啜られ、失わざるを得なかったのだと思うと好ましく思えた。今彼女は骨が軋み、乳房を掴まれ、灼けるように鮮血をにじませても痛がることができない。内側から自分の命が漏れ出ていくことを止めることもできない。従順な肉体を貫くあいだ、ディアリスは敬虔な面持ちで祈りたくなった。


血は短剣を伝い、柄を握る指に熱を伝える。乳房を無遠慮に握り、背に剣を押しつけながら前後から彼女を押し潰そうと試みる。

裾が乱れてたくし上がるが、襦袢に包まれた長い脚も面紗も彼女の滑らかな肌をさらすまでは至らない。薄絹の向こうから女の声が漏れて、招待客に跳ね返った。ただ潰れた肺で息を継いだだけの短い音だった。彼らは今この時に最も神聖なものが穢されるさまを見ることしかできない。彼女は泥水の中で溺れるように体をくねらせ、ますます正常な思考に割り込んでくる。


面紗の下で揺れる顔が、ディアリスの胸に擦り寄って止まった。女は恥辱にうち震えているのだ。観客はそう思い込んだ。脚の合間から血でも滴れば、純潔が散らされたとでも思っただろう。腰帯で止められた血は真横に溜まり始める。

ディアリスは柄がこれ以上沈まないことを指先で確かめた。女はすでにほとんど動かなくなっている。少しずつ弛緩する身体は重さを増し、ディアリスも腕に込めていた力を抜いた。今度こそ花束を抱くように優しく抱き寄せると背後で俄かに怒りが裂けた。


龍下はディアリスの肩を掴んで引き剥がした。遅いのだとディアリスは伏せていた顔をあげて笑みを見せた。容易く女を手放すと支えを失って、美しい遺体はふわりと裾を広げながら倒れていく。背骨に草色をした短剣の柄が見えた。それが花茎に見えたのは、その下から真っ赤な染みが広がっていったからだった。






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