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190 冷菓:聖女の余興(1)

龍下と大主教が語り合う間、人々は翼の男を覗き見、沈黙の中で震える受難者を取り巻いていた。あえて男について論じる者はおらず、かと言って神秘で清らかな翼は光りに照らされるたびに煌めくので、常備している笑みを浮かべて方々で互いの顔を見合わせることしかできなかった。

周囲を和ませようと、招待客の一人が何かの話のついでにパーシアスという希少種族についての蘊蓄を語り始めた。神が最初に創ったという有翼種族パーシアス。角持ちや鳥の尾羽などをもつ他種族とは一線を画す優雅さと、それに見合った気位の高さを併せ持つ種族の話は、どこか得体の知れぬ者を受け入れきれない心に、ここぞとばかりに入り込んだ。もちろん過度に誇張した作り話も含まれていた。神秘的な逸話に心からの驚きを溢れさせた婦人が、華奢な指先を紅潮する頬に添える。吐き出されるうっとりとした吐息に気をよくして常日頃から集めていた噂話も披露された。それを誇張と知る者もいたが訂正は決してしなかった。いつしか女たちが集い、感嘆しながら耳を傾ける姿は今だけ彼女たちを慎ましい女に見せた。男は男で、どんな形であれ女たちを喜ばせることは何より重要な仕事に思えた。沈痛な静けさが漂うよりも、喜びが花咲くように繁華していることがこの場には相応しいと到らせる男ばかりだった。


「貴方のなさるお話は美しくて、そのまま触れられるような気さえしてくるの」


語り終えるのを待って女が微笑む。その指には真っ青な宝石が光っていた。男は驚いて礼を言うと、女は顔を俯けた。濃い官能の匂いに男の指先が白む。


「私が集めた知の量はわずかよ。それなのに貴方は今日たくさんのものを与えてくれた。だから、もしかしたら私が一番望む答えを貴方は存じていらっしゃるかも知れないわ。良ければ知恵を授けて頂きたいの……」

「えぇ、えぇ、構いませんよ。貴方が望むだけ付き合いしましょう」

「まぁうれしい」


美しい網の目の中に男を捕まえて、女の唇はまろく開かれた。

教えてほしいの、


「―――――()()()()が目覚めたとき、世界は変わってしまうの?」



出口なき迷路を作り上げる雑踏の中でひとりが振り返り、遅れてそばにいた男も振り返った。そしてまたひとり。そうして人の波が少しずつ後方に体を向けていく。女がその種族の名前を口にした時、広間の後方から中空に向けて大きく強い風が吹き上がった。

花びらが舞い散って、あかあかと燃える絨毯に赤白の雨が降る。問われた男は言葉に窮した。飲み込むこともできず、青い指環の女の後ろに目を向けた。一様に何かを見ている。気が削がれた女も、何か得体の知れない空気の重さを感じて、絢爛な衣裳の向こうに目を凝らした。

もしも、もしも美しさが生涯でたった一度しかまみえぬものならば、鏡を見れば事足りると思っていた女は正装の奥に見えた横顔から目を離せなくなった。


先の丸い短靴、開花した花のような裾の広がった下衣、重ねた薄衣、そして"頭から胸までを覆う薄絹の面紗"―――頭から爪先まで、「純白」を纏う女がそこにいた。


薄絹の向こうに微かに肌が透け、形の良い頬の膨らみや、潤んだ唇までもが瑞々しく覗いていた。人々は目を閉じることができなかった。激しくほとばしる愛が心の中に溢れて、毒のように全身にまわっていた。

ゆっくりと歩む彼女の頬に戯れに花びらが寄ったが、梢から落ちた枯れ葉のようにすげなく拒まれて、彼女が過ぎさったあとに空しく繁茂していく。白と赤―――教会と龍下を示すその色を、彼女は踏みしめていく。

人々は自然と道を譲り、"彼女"の前に一筋の道と、二本の水平線が生まれた。自失する観衆の前を、美しい女という船が渉っていく。


必然、正面から相対することになった翼の男は、戦慄するほどの美しさをまざまざと見つめた。

「白布」の男と、「白布」の女がひと時向かい合う。女はさざ波のように男に迫っていた。ハウエル司祭はくずおれて、床に膝をついたまま後退った。従者はすでに下がっている。目元が湿り、泣いているのに気づいたのは自ずから平伏したあとだった。


人は日々の生活のなかで、自分以外の誰かと関わり合いながら生きていく。家族や友、同僚だけでなく、道ですれ違う言葉も交わさぬ他人のことでさえ、一瞬で知覚して、姿、表情、態度、物理的な距離などを読み取って頭の中で再構築している。他に大きさ、声色、においなども段階的に追加されるだろう。

誰かに初めて声を掛けるとき、「陽気な人だ」「気難しそうだ」と予測して、あらかじめ親しみを感じたり、身構えて強張る。これは頭の中に蓄積されている「眉を下げた悲しみの表情」や、「口をきつく結んだ怒りの表情」「明るい身振り手振り」「冷めた視線」などの微細な見た目の変化とまつわる実体験を引き出していることで発生している。こうした"予測"の基盤として活用されている"情報"は、自意識によって作られた一方的に意味づけされたものに過ぎない。知覚は無数に存在し、更新され、幾度も再構築を繰り返していく。






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