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19 三階での圧迫と、

深い森と湿地に覆われている地域に住むパーシアス族は、神様が作った最初の人類がパーシアスの男と女であると信じていた。


彼らは翼を持って生を受ける有翼種だが、翼の生える場所は同一種の中でも個体間に差異が見られた。

多数派なのは直立二足歩行で背中に翼を持つものたちだ。肩甲骨と脊椎の間ほどに他種族とは異なる新しい骨があり、上腕骨、尺骨、指骨と続くそれらは羽毛に覆われている。翼で飛翔することも容易く、その事から自分たちが最上位の種族であるという自負があった。


背翼の者以外には、腕が翼となっている者、鳥の下肢を持つ者、足首や手首から翼を生やす者、顔だけが鳥、などなど半人半獣の度合いは様々だが、総じて翼を持っていた。


パーシアス族はその気位と種族への自己愛の高さから住処から出る者は非常に少なく、長年実存さえ疑われていた。


いわば誰にも語られない神話の登場人物―――だったのだ。

だが、実はアクエレイルには一人のパーシアス族の男が定住していた。


アクエレイルでは獣皮を加工した羊皮紙が文書主義の根底を長らく支えていたが、つい十二節前に発明された印刷術式によって紙の本が発行されるようになった。

しかしそれでもまだ市民の手の届く代物ではなく、もっぱら一部の富裕層、教会上層や研究職での記録活用に使用されるなどの限定的な流通であった。


庶民の市場に出回るものといえば、商人連盟の活動報告のような(何の面白味もない目の滑る)代物くらいしかなかった。教会も教義の伝道からはたまた催事の案内までを記載した機関誌を出版しているがこちらは無料配布なので除外する。

庶民の身近なものといえば羊皮紙を重ねて紐でくくった冊子を回し読みすることだった。


そんな未発達の市場に現れたのが「フルッグブラット」という大衆紙だ。

パーシアス族の言葉でいう「紙の翼」という名のついた一枚刷りの読み物は、機知と頓智に富んだ語り口で市内の大小様々な巷談を書き綴った。興味本位の噂話を娯楽とする市民、ことさら労働階級の心を強く掴み、瞬く間に人気となり、流行を生み出す媒体となった。これを刊行したのがパーシアス族の男だった。


発行者は言う。

「郷のやつらに知られたら怒り心頭、毛をむしられるどころじゃありませんよ。磔にされて焼かれるんじゃないですかね。まぁ二度と帰らないのでいいですけど」

――これがフルッグブラット執筆者の A・ブラットである。


「郷でのあだ名は恥知らずのブラットでした」と無表情で付け加える。

ぴくりとも笑わないため、冗談であるのか、笑ってよいものなのかわからない。そのような何事にも関心が無いような顔をした――大衆娯楽とは対極にいるような男だった。





「へぇ……こんな肌理の細かい粉状の塩は初めて見ました。少しの風で吹き飛んでしまいそうですね……やってみてもいいです?」


前傾姿勢から視線だけをあげたA・ブラットは前髪の奥で光る黒目を、対面に立つ男に向けた。

翼の先で顔を半分隠す姿は、扇子を広げた貴人のようであったが、大鷲を彷彿とさせる白と黒がくっきりと分かれた翼は威圧的で捕食者の空気を醸し出していた。

声色は平坦で表情も硬いうえに、笑みも無い。

返答によっては首が飛びかねない――少し離れた場所に立っている長靴を履いた男は何も言えずに噛みあわない歯を震わせた。


腹の前で持っているくたびれた外套がみるみるうちに腕が食いこみ、埋もれていく。当然腰が折れ、前屈みになった男は「うぐぅ」と呻き声を漏らした。今まさに腹を短剣で刺されたような異様な姿だったが、後方に控えている商会の忠僕は男の背中を一瞥することもなく、後ろ手を組んだまま動かない。

A・ブラットにその気はないということを、長靴の男以外が知っていた。


「アデレフ……良いというまで羽は畳んでいろ。幾らで買うかだけ言え」

「え? あぁ、はい…………やってみたかったんですが、あ、買ってから好きなだけやればいいですかね」

「自宅で好きなだけな」

「ここって俺の自宅ですよね?」

「違う。借り上げているのは私で、持ち主は商会だ。ほら早くしろ、でないと私が買う」

「それは困ります。えー、相場にどのくらい上乗せするのが妥当なんですかね。ねぇ、どう思います?」


控えていた忠僕の表情がころりと変わる。眉を下げ、首を倒し、頬に片手があてられる。絵に描いたような困り顔をしてみせた。


「わたくしには分かりかねます。どうなりとも貴人様のご随意になされるのが宜しいかと」


頬にあてた手が再び背中に消える。その短い間に、三度手の形が変わった。これは商人の間で使用されている符牒で、指先の数や形で金額を表していた。

扉に背中を向けている長靴の男はその仕草に気づくことはなく、ただ小さく唇を動かしていた。動きからして「八倍」と言いたいようだったが沈黙が選ばれる。


符牒を読んだA・ブラットは「はぁ」と面倒そうに頷くと、これまた面倒そうな顔で塩を見下ろし「じゃあこのくらいで…」と言った。


ブラットの首にぴったりとくっついた環状の飾りが微かに光る。中心から垂れ下がった青い石が発光し、窓辺の机の上で万年筆がひとりでに立ち上がる。引き出しからは紙の束が飛び出した。


筆がするすると紙の上をなぞったあと、紙の束の一枚目がめくりあがり、自ずから束と分離した。浮き上がった紙片は、素早くA・ブラットの前を通り過ぎ、長靴の男の顔の前で急停止した。既に墨は渇いているのだろう。


紙片を見た男は―――正確には買取価格を目にした男は「ろ、六十倍ィ…!」と言ったあと、口の端から泡を吹いて倒れた。卒倒である。

忠僕が回収し、扉の裏に消えていくのもまた早かった。






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